一般意味論 他の分野との関係

一般意味論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/11 04:22 UTC 版)

他の分野との関係

一般意味論は分析哲学科学哲学と関連が深い。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインウィーン学団、初期の操作主義者やチャールズ・サンダース・パースなどのプラグマティストの思想は、一般意味論の基本的な考え方に顕著な影響を与えている。これらの影響の多くはコージブスキー自身によっても認識されている。

コージブスキーの「目標レベルにおける沈黙」という考え方や「抽象過程への自覚」という考え方はに似ている。コージブスキー自身が禅に言及することはないが、一般意味論が体系化されたのと同時期に英語圏で第一次禅ブームがあったことは確かである。

論理情動療法を発展させたアルバート・エリスが、一般意味論からの影響を認めている。


cf. 1) 認知的転換を含む心理療法との関連について

広義での心理療法は、「思考・感情・身体(社会・実存を加えてもよい)」に関わる混乱を修復して現実の社会で生きていくことを支援する。そのうち特に「思考」すなわち「考えるという機能」における混乱を是正することを試みる論理療法認知療法を実施する際には、認知的転換に必要な「正しい認識の仕方」についてのひな形を一般意味論が提起していることを自覚する必要がある。というのは、人間の認識システムそのものがかかえている本質的問題、すなわち「個別と抽象」の間の混乱が、来談者のみならず心理療法を行う側にも等しく起こりうるありふれた問題であるからである。

一般意味論では抽象の段階に関する考え方を「構造微分 structural differential」と呼び、1)無限に変化する「世界」から、2)感覚器官によって把握された外界の似姿、3)「外界」として体験された事柄についての言語的記述、4)そうした言語的記述についての記述、というように当初の情報が段階的に縮退されていくことを指摘した。現在では認知心理学認知科学的研究によりそうした縮退の様子が把握されているが、「元の世界についての認識」が、言語的に表現された「世界」についての認識へと縮退的にすり替えられていかざるを得ないという人間の認識能力の限界、そのことを明確に指摘した点に一般意味論の決定的な重要性がある。

「空は青い」といったような言明そのものが、複数者の間でその意味が異なるという認識上の不定性のゆえに、心理療法の場に限らず、その話者にとっての(そのときの)意味を把握することに努力しなければならないこと。その際に、そうした言明のどこまでが「事実性」に関わり、どこからが推測などの「思い」や「思い込み」であるかを分離すること。あるいは「彼は何々障害である」といったような言明が、「類と個別」に関わる錯覚に見舞われ、「何々障害であるから彼はしかじかである」といった後件肯定の誤りに陥らないようにすること等々。C.S.パースによる可謬主義(fallibilism)は、絶対的な真実や確実さはない以上、人は誤りを繰り返す中で漸進的に進んでいくとする立場であるが、一般意味論の構造微分の図式はそうしたパースの立場と結果的に重なり合うものと考えられる。

また構造微分の考え方から心理療法への決定的な示唆としては、「言葉で語ることのできない段階 unspeakable level」が存在するということである。「思考」「認識」という世界とは異なる言語未然の「体験の世界」の存在は、身体的で体験的な要素を含むヴィルヘルム・ライヒやアレクサンダー・ローウェンによる精神分析への身体的アプローチ、あるいはゲシュタルトセラピー身体心理学・身体心理療法というアプローチの必然性の示す理論的根拠と考えることができる。

cf. 2)言語による束縛と脱却

一般意味論の関心は当時の二つの重大問題にどのように回答するかであり、その一つが、「クレタ島人はウソつきである」といったように真偽が定まらない自己言及型パラドックスであり、もう一つは「どのような観測系でも光速は一定」という物理現象であった。前者についてはバートランド・ラッセル階型理論によって「自己言及を停止すればパラドックスに至らない」ことが示され、後者についてはアルベルト・アインシュタイン相対性理論によって「時間が伸び縮みする」という観点により把握された。コージブスキーにとってはそのいずれもが人間の言語的認識と思考の決定的な限界を示す事柄であり、前者はいわば、言葉の世界の中だけでの循環的参照関係の構造的「欠陥」であり、後者は通常の感覚と認識が届かない彼岸が存在するという自戒だったといえる。 たとえば、禅問答における公案・「隻手の声」(両手で叩くとぽんと音がする。片手でたたくとどんな音がするか)のように、認識の言語的循環からの脱却および思考する自分自身からの脱却などへと連なる問題意識を推測させる。

なお、構造微分が示すように、記述がその記述内容そのものを指し示す(言及する)という構造から自己言及型パラドックスが生まれるが、これが単なる論理的テーマには留まらず、統合失調症の発症に関わるメカニズムであるとグレゴリー・ベイトソンと考えダブル・バインド理論を提起した。二つの矛盾したメッセージ、たとえば「来ることと来ないこと」を同時に実現させなくてはいけないような状態や、保護者からの「勝手にしなさい」といった自己言及的パラドックスにさらされ続けると、統合失調症に見られるような日常的な思考行動の崩壊ないしは硬直や無反応という対処を生むとされた。

論理療法・認知療法は認知(人間の認識のあり方)の歪みが心理的問題の根底にあると捉えているが、一般意味論の見方では、それは特に神経症レベルにある人間に限定されることではなく、言語的に思考して認識する人間存在に根ざす基本的問題と考える必要がある。 (参考資料:葛西俊治『行動をソフトに科学する』青山社2002,「身体心理療法の基本原理とボディラーニング・セラピーの視点」札幌学院大学人文学会紀要2006)




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