リグレー・フィールド 照明

リグレー・フィールド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/15 23:24 UTC 版)

照明

現在でも多くの試合がデーゲームで開催されている。

1914年の開場から1988年までの75年間、試合数にして6852試合[6] にわたり、リグレー・フィールドではナイターが開催されなかった。

1935年5月24日にクロスリー・フィールドオハイオ州シンシナティ)で大リーグ史上初のナイターが行われて以来、リグレー・フィールドと同時期に開場した他の球場は続々と照明設備を導入していった。同じシカゴにあるコミスキー・パーク(1910年7月1日に開場)も、1939年8月14日には初のナイターを開催しているが、リグレー・フィールドにだけ、照明設備はなかった。 これは周辺の住宅への騒音を防止するためでもあったが、それ以上に大きかったのが、球団オーナー(当時)のフィリップ・K・リグレー英語版の「野球は太陽の下でやるものだ」という言葉だった。この言葉が野球ファンの共感を得たため、照明灯は設置されてこなかった。

この「野球は太陽の下でやるものだ」という発言だが、実際は1941年に照明灯の設置工事を開始した直後に日本軍による真珠湾攻撃から太平洋戦争が勃発し、鉄を供出しなくてはならないために工事が中止になったことに対する弁明でもあった。リグレーはチューインガムメーカーのウィリアム・リグレー・ジュニア・カンパニー社長で広告コピーを作るのが上手で、この弁明さえも「野球史に残る名言」にしてしまった。

1981年に、地元紙「シカゴ・トリビューン」を発行する新聞社トリビューン・カンパニーがカブスを買収。その年のシーズン終了後に照明灯の設置を検討し始めた。「夏のシカゴは連日摂氏30度を超える暑さで、こんな環境でデーゲームばかりでは選手が疲労してしまい、優勝できない」「ナイターでないとテレビ中継の放映権料も入らず、経営が成立しない」と考えてのことだった。トリビューン社は、リグレー・フィールドに代わる新球場の建設もちらつかせた。

CUBS(Citizens United for Baseball in Sunshine=太陽の下での野球を守る会)のポスター。野球殿堂所蔵

シカゴは街を二分する大騒動になった。反対派の中には、球団名にかけたCUBS(Citizens United for Baseball in Sunshine=太陽の下での野球を守る会)という名の市民団体もあった。

当時、シカゴ市は、リグレー・フィールドが住宅街にあることから、リグレー・フィールド夜間試合禁止条例を制定していた。このためトリビューン社は1982年シーズンから、試合開始時間を午後3時に設定するという策をとった。ほとんどの試合は照明が必要ない明るい時間帯のうちに終わったが、同年8月17日のドジャース戦のように日没サスペンデッド・ゲームとなったものもあった。

1985年から、ワールドシリーズなど、ポストシーズンのすべての試合がナイター開催となった。MLBコミッショナー(当時)のピーター・ユベロスは「カブスがポストシーズンに進出した場合、全ホームゲームをリグレー・フィールド以外の球場で行う」と決定した。他球団のオーナーも、「リグレー・フィールドには照明導入が不可欠だ」と主張した。

1987年秋、シカゴ市長(当時)のハロルド・ワシントンは、夜間試合数を少なめに抑えるという妥協案を提示した。その一週間後にワシントンは死去したが、臨時市長ユージーン・ソーヤーがワシントンの計画を引き継いだ。1988年2月23日、シカゴ市議会はリグレー・フィールド夜間試合禁止条例を廃止した。

1988年8月8日のフィリーズ戦、リグレー・フィールド初のナイターがとうとう開催された。この試合に集まった報道陣の数は556人で、1985年9月11日にピート・ローズタイ・カッブの通算安打記録を破った試合(報道陣275人)の倍以上だった[7]シカゴ交響楽団国歌演奏を行い、1905年以来のカブスファンという91歳の男性が午後8時に照明スイッチを入れた。始球式は、野球殿堂入りを果たしているカブスOBのアーニー・バンクスビリー・ウィリアムズが務めた。

カブスの先発投手リック・サットクリフが第1球を投じ、試合が開始された。しかし、試合は4回表終了時に豪雨のためノーゲームになった。翌日のメッツ戦で改めて初のナイターが行われた。

2016年のワールドシリーズで、ナショナルリーグの代表としてカブスが進出することが決まり、1945年以来71年ぶりとなるワールドシリーズ(第3・4・5戦)が、同球場で初となるナイター開催で実現した。なお、優勝決定試合はビジター・クリーブランドで行われた第7戦だった。


  1. ^ 福留の舞台 リグレーの“名物””. スポーツナビ (2008年5月13日). 2018年10月26日閲覧。
  2. ^ "Wrigley Field", Ballparks by Munsey and Suppes
  3. ^ ただ今、工事中!新装(途中)開店したナ・リーグ最古の球場(2015年4月7日 J SPORTS 10月17日閲覧)
  4. ^ 『2017年MLB選手名鑑 全30球団コンプリートガイド』日本スポーツ企画出版社〈スラッガー〉、93頁
  5. ^ 『2019年MLB選手名鑑 全30球団コンプリートガイド』日本スポーツ企画出版社〈スラッガー〉、91頁
  6. ^ 出野哲也 「歴史が動いた日-1988年8月8日 リグレー・フィールド初のナイトゲーム」 『月刊スラッガー』107号、91頁、日本スポーツ企画出版社、2007年。
  7. ^ 藤澤文洋 『やっぱり凄い メジャーリーグ大雑学』 講談社<講談社+α文庫>、ISBN 4062564297、2000年、224頁。
  8. ^ “ヤギの呪い”は解けていない!? WS制覇で初めて破られるカブスのジンクス full-count 2016年10月23日
  9. ^ “カブス 71年ぶりのWシリーズ進出! 「ヤギの呪い」のジンクス破る”. Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社.. (2016年10月23日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/10/23/kiji/K20161023013589360.html 2016年10月24日閲覧。 
  10. ^ カブス108年ぶり世界一 ヤギの呪い解けた - 日刊スポーツ、2016年11月3日
  11. ^ Jordan, Bastian; Carrie, Muskat (2016年11月2日). “Cubs are heavy wait champions!” (英語). Major League Baseball Advanced Media. http://m.mlb.com/news/article/207938228/chicago-cubs-win-2016-world-series/ 2016年11月5日閲覧。 
  12. ^ nikkansports.com(日刊スポーツ)2009年1月2日 野球場で初の公式戦開催/NHL






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