ホンダ・NSR500 概要

ホンダ・NSR500

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 03:10 UTC 版)

概要

Honda NSR500 1995

1984年から2002年までの19シーズン、HRCからオートバイロードレース世界選手権(WGP)に投入された競技専用車両。NSRとは「New Sprint-racer of Research」の略称とされている。HRC社内呼称は「NV0(ゼロ)、大幅な設計変更を受けた01年以降はNV4(フォー)」の後ろにアルファベット順で開発年の順に割り振られている(EやFはエンジン用パーツやフレーム用パーツと混同しやすいので飛ばしている)。例えば、初代NSR500である84年型は「NV0A」85年型は「NV0B」86年型は「NV0C」87年型NSR500は「NV0D」という具合に「通しアルファベット順」とも言える社内呼称となっている。ただし例外はあり、89年型NSRはNV0Hだが、翌90年型NSR500は「90NV0H」となっている。これは、毎年開発年度順に社内で予算が組まれるのだが89年型と90年型がひとつの予算枠で開発された経緯によるもの。また「NV0O(オー)」「NV0I(アイ)」も飛ばされているが、これは数字のゼロとアルファベットのオーが紛らわしい、Iが1と紛らわしいという理由である。また、00年仕様は殆ど変更点が無かったことから開発コードがNV0Zから変更されていない。

初代のNSR500で150ps、最終的には190psを超える最高出力を500ccと云う排気量から発揮した。年々のパワーアップ競争で常にライバルのヤマハスズキをリードしていたと言われるが、ライダーのコントロール能力を超えるほどのハイパワーは諸刃の剣となる。その課題解決策として1992年に投入されたビッグバン・エンジン(不等間隔位相同爆エンジン)[1]は、その後のGPマシン開発の方向性に大きな影響を与えたエポック・メイキングな技術であった。

4気筒化でパワーのホンダへ

3気筒のNS500

1983年当時、主力マシンであった2ストロークV型3気筒エンジンを搭載したホンダ・NS500は、小型・軽量・低重心を開発の主眼に置き、軽快な旋回性能とすばやい立ち上がり加速を特徴として、エースライダーのフレディ・スペンサーを中心にシーズンを戦った。各ラウンド全体をみると、低中速サーキットではマシン開発の目論見どおり、旋回および加速性能を発揮し優勝を含む好成績を収めたが、舞台が高速サーキットやアップダウンの激しいサーキットに移ると、絶対馬力に勝るV型4気筒エンジン搭載のヤマハ・YZR500の後塵を拝する結果となった。

そこでホンダは1983年シーズン当初から、将来のグランプリを長いスパンで戦い抜ける性能をもつ新型マシンの開発に着手し、ライバルのYZR500と同等かそれ以上のハイパワー、かつNS500で得た軽量・低重心を兼ね備えたパッケージを持つニューマシンがNSR500プロジェクトのスタートであった。


  1. ^ 2st最後の技術革新は4st化だった-ビッグバンエンジンと同爆-|バイク豆知識”. https://bike-lineage.org. 2019年3月9日閲覧。
  2. ^ 『Honda Motorcycle Racing Legend vol.2』(八重洲出版) ISBN 978-4-86144-091-5






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