ヘラルド・オブ・フリーエンタープライズ 1987年3月の事故

ヘラルド・オブ・フリーエンタープライズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/05 19:50 UTC 版)

1987年3月の事故

背景

転覆した当日、ヘラルド・オブ・フリーエンタープライズはドーバーとベルギーのゼーブルッヘ港間を就航していた。これは同船舶の通常ルートではなく、ゼーブルッヘの浮桟橋はスピリット級船舶用に特別設計されたものではなかった。船は単一甲板を使うことになっていて、EデッキとGデッキ双方への同時積載はできなくなり、また積載用の斜道(ランプウェー)はEデッキに届くだけの十分な高さまで上がらなかった[10][11]。これを補完するため、船首のバラストタンクは満杯まで詰まれ、積載後に船の自然なトリムが戻らなかった[10]。ヘラルド・オブ・フリーエンタープライズが現役であったら、この手順の必要が無くなるよう船は改造されたであろう[11]

係留索が落とされる前、日常業務では副甲板長が船扉を閉鎖していた。しかし副甲板長マーク・スタンレーは、到着時に車両デッキを掃除したのち短い休息のため自分の船室に戻っており、港駅の呼び出しが鳴って船が係留索を落とした時もまだ眠っていた[12][13]。 一等航海士レスリー・サベルは扉の閉鎖を確認するまで甲板に留まることが義務付けられていた[14]。自分はスタンレーがやって来るのを見たと思うとサベルは発言したが、彼はこの災害で重傷を負っており、裁判所は彼の証言が不正確だと結論づけた[14]。橋上の港駅に到達するプレッシャー下で、彼はまもなくスタンレーが到着する筈だと期待して船首扉開放のままGデッキを去ったと考えられている[15]

裁判所はまた、Gデッキの最終人物と考えられる甲板長テレンス・アイリングの態度も記述している[15]。他に誰もいないことを考慮してなぜ扉を閉めなかったのかと尋ねられると、彼はそれが自分の義務ではなかったと発言した[13]。それでも裁判所は、救助における彼の活動を賞賛した[13]

船長デビッド・ルーリーは、この船の設計上操舵室から状況を確認できなかったため扉が閉鎖されたものだと思い込んでいた。同操舵室には(扉位置を示す)表示灯が無かった[16]

転覆

この船は乗組員80人と乗客459人、自動車81台とバス3台とトラック47台を乗せて、18:05(GMT)にゼーブルッヘ内港の係留場所を出航した。船は18:24(GMT)に外側防波堤を通過し、約4分後に転覆した。港を出て90秒後、フェリーが18.9ノット(35.0km/h)に達した時に、水が車両デッキに大量に入り始めた[17]。結果として生じる自由表面効果が船の安定性を損ねた[18]。ほんの数秒で船は30度左舷に傾きかけ、少しだけ右になった後もう一度左舷に傾いて、今度は転覆した[19]。出来事の全てが90秒以内に起こった[20]。すぐに水は船の電気系統に達して主電源と非常用電力の両方を破壊し、船内は暗闇に包まれた[18]。船は海岸から1km先の浅瀬で片側だけ水没して止まった。最後の瞬間、偶然にも砂州で船が右舷を上にして転覆したため、更なる深海へと完全水没することだけは免れた[18]

近くの浚渫船に乗っていた乗組員は、ヘラルド・オブ・フリーエンタープライズの明かりが消えているのに気付いて港湾当局に通報した。彼らはまた、船首扉が大きく開放しているように見えると報告した[21]。現地時間19:37 (GMT 18:37) に警報が発せられた[22]。救助ヘリコプターが急遽派遣され、この地域で演習していたベルギー海軍の支援が直後に続いた[23]。近くにいたフェリーのドイツ人船長ヴォルフガング・シュレーダーは[24]、乗客を救出する際の英雄的な活動のため英国首相マーガレット・サッチャーから表彰され、ボードゥアン1世 (ベルギー王)から勲章を授与された[25]

この災害で結果的に193人が死亡した。乗船者の多くは大陸への安価な旅行を提供するザ・サン紙の興行を利用していた[26]。犠牲者の大半が船内に閉じ込められ、極寒の水による低体温症で倒れたものだった[27]。ベルギー海軍と英国海軍潜水夫の救助活動がこれ以上の死者数を食い止め、事故の数日後に回収可能な遺体が取り除かれた。救助中に潮が満ち始めて、救助隊は朝まであらゆる活動を中断せざるを得なくなり、船上に残された人々は低体温症で死亡した[28]

調査と審問

事件に関する法廷の公聴会が、1987年に英国裁判官バリー・シーンの下で開かれた[29]。転覆は主に、スタンレーが船首扉を閉じなかったこと、サベルが船首扉の閉鎖を確認しなかったこと、船首扉が閉鎖されたのか分からないままルーリーが出港したこと、の3要因によって引き起こされたことが判明した。沈没の直接的な原因はスタンレーが船首扉を閉めなかったことだと裁判所は判断したが、災害を防ぐ立場なのにいなかったサベルに非常に批判的で、彼の行動を沈没の「最も直接的な」原因だと評した[15]

出発時にスタンレーが眠っていたという事実がタウンゼント・トールセンの労働慣行を裁判官に調査させることとなり、船の操縦者と陸上基地にいる管理者との間の職場コミュニケーション不足かつ硬直した関係が沈没の根本的原因であるとシーン裁判官は結論付け[12]、また同社のあらゆる階層にはびこる「怠け病(disease of sloppiness)」および油断があったと断定した[30]。高波による進行中の船首扉の破壊に関する問題や、扉位置を示す表示器をブリッジに設置する要求は却下された。前者はその問題が本当に重要なら船長が来て「机をバンと叩く」筈であり、後者は従業員が職務を正確に遂行しなかったのかを示す機器にお金を掛けるのは無駄な事だと(当時は)考えられていたためである[16]

ヘラルド・オブ・フリーエンタープライズの設計もまた沈没の一因であることが判明した[12]。水密区画で細分された他の船とは異なり、RORO船の車両デッキは一般的に(細分されず)連続しており、これらデッキでの浸水は船首から船尾までの水流入を許してしまう[10]。この問題は1977年のフェリー事故(6月と11月にそれぞれSeaspeed Dora号とHero号が失われた)を受けて、1980年には早くも認知されていた[31]。ゼーブルッヘの港湾施設を使用するために船舶トリムを調整する必要があった事および出発前の再調整ができなかった事もまた、転覆の要因だった[20]

この事故の4年前となる1983年10月、姉妹船のプライド・オブ・フリーエンタープライズが(同じように)副甲板長が眠りに落ちた後、船首扉を開けたままドーバーからゼーブルッヘまで航海したことがあった[13]。そのため船首扉を開けっ放しで出航しても船の転覆を引き起こす筈はないと考えられていた。 しかしデンマーク海事研究所による事故後のテストでは、RORO船の車両デッキに水が入り始めると30分以内に船は転覆する可能性が高いことが判明し、水密区画(他の船舶では一般的)の欠如が水の重量を自由に移動させるため転覆可能性が高まることが別のテストで判明した[20]

転覆に繋がったもう一つの要因が「スクワット効果」だった。船が航行中の時、下向きの運動が低圧状態を作り、それが船体の喫水を増加させる効果を生む。水深が深いとこの効果は小さいが浅瀬ではより大きくなる、なぜなら(浅瀬ほど)水が船の下側を通る速度が速くなって 喫水増加を引き起こすためである。これが船首扉と水線との間の余裕を1.5-1.9mほど減少させていた。大規模なテストを経て、船が18ノット(33km/h)で移動した時に波が船首扉を十分飲み込むほどになる事を調査官は発見した。もしも船が18ノット未満で浅瀬以外の場所を航行していれば、恐らく車両デッキの人員が船首扉の開けっぱなしに気付いてそれを閉鎖するだけの時間があった筈だとされている[32]


注釈

  1. ^ 違法に人命を殺めた行為全般を指すイギリスの法律用語。故意であったかは関係なく、過失致死危険運転致死間引きや堕胎なども含まれる。詳細は英語版en:Unlawful killingを参照。

出典

  1. ^ Sheen 1987, p. 1.
  2. ^ Yardley 2014, p. 13.
  3. ^ Yardley 2014, p. 6.
  4. ^ a b Yardley 2014, p. 14.
  5. ^ Yardley 2014, pp. 11–12.
  6. ^ Yardley 2014, p. 12.
  7. ^ Hiles, Andrew (2004). Business Continuity: Best Practices : World-class Business Continuity Management. Rothstein Associates Inc. ISBN 978-1-931332-22-4 
  8. ^ Yardley 2014, p. 23.
  9. ^ Yardley 2014, p. 10.
  10. ^ a b c Wittingham, The Blame Machine, p. 121
  11. ^ a b Robins, Nick (1995) The evolution of the British ferry, Kilgetty : Ferry, ISBN 1-871947-31-6, p. 89
  12. ^ a b c Wittingham, The Blame Machine, p. 120
  13. ^ a b c d Sheen 1987, p. 8.
  14. ^ a b Sheen 1987, p. 9.
  15. ^ a b c Sheen 1987, p. 10.
  16. ^ a b Wittingham, The Blame Machine, p. 120-1
  17. ^ Sheen 1987, p. 68, 71.
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  20. ^ a b c d Wittingham, The Blame Machine, p. 122
  21. ^ https://www.youtube.com/watch?v=82XGofeqf7c
  22. ^ Yardley 2014, p. 113.
  23. ^ Yardley 2014, p. 114-116.
  24. ^ Maitland, Clay (2010年8月26日). “Tragic death of Wolfgang Schroeder”. ClayMaitland.com. 2016年2月4日閲覧。
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  26. ^ Yardley 2014, p. 29.
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  28. ^ Yardley 2014, pp. 137–8.
  29. ^ Wittingham, The Blame Machine, p. 119
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