フォルクスワーゲン・タイプ1
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ボディ・装備
全鋼製セミ・モノコック構造の流線型で、「カブトムシ型」といわれるヤーライ流線型ボディの典型である。ドイツではまだ木骨ボディの大衆車も多かった1930年代に、プレス鋼板による量産性や耐久性、安全性を考慮していち早く全鋼製ボディを採用したことには先見の明があった。丸みの強いボディは空気抵抗が小さいだけでなく、鋼材の節約や強度確保、それらに伴う軽量化の効果もあった。
なお、ボディ形状は2ドアセダンないしカブリオレのみで、4ドア型は特殊モデルを除いて存在しない(にもかかわらず、タクシーやパトロールカーなど、本来なら4ドア仕様が適当な用途にもしばしば用いられていた。フォルクスワーゲンは、タイプ1よりも上級のモデルとして1961年に発表したタイプ3でも、なぜか2ドアないし3ドアを踏襲し、実用性に勝る4ドアモデルを作らなかった)。リアシートへのアクセスの都合もあり、フロントシートは左右独立したセパレートタイプである。
デザインは後にポルシェ・356のオリジナルデザインも手がけたポルシェ社所属のデザイナー、エルヴィン・コメンダによるもので、「ヒトラーのデザイン」という奇妙な説が一部にあるが誤りである。類似した流線型車は1930年代のトレンドであったが、コメンダのデザインは独立式フェンダーやホイールベース間の側面ステップを残す古典性はあるものの、1930年代後期としては流麗で完成度が高かった。
長い生産期間を通じ、窓形状やフード、フェンダー、バンパーなどの形状変更は枚挙に暇がなく、これによって個体の年代識別も可能であるが、「独立フェンダーとホイールベース間のサイドステップを持つカブトムシ型」という流線型ボディの基本的なデザインモチーフは一貫して踏襲され、世界的に親しまれた。
もっとも、ボンネット内容積・幅員が有効利用されていないなど実用面の弱点もあり、1930年代基準のデザインは、1950年代中期時点ですでに「時代遅れ」と評されていたのであるが、大きな変更もなくそのまま生産が続けられた。
その全鋼製ボディは、当時の車としては気密性も高く(窓を閉めておけば)「水に浮く車」としても有名だった。ほとんど無改造のビートルがイタリアのメッシーナ海峡を横断したり、フォルクスワーゲンの実験では、エンジンをかけたままプールに沈めたところ、9分あまりも沈まなかったという。洪水に流されたが無事だった、というエピソードもいくつかある。
スペアタイヤは通常サイズのものがフロントノーズ内に斜めに収納されているが、その空気圧は高めに設定されウインドウウォッシャーの噴射ポンプ代わりにも利用された。タイヤ空気圧が走行適正空気圧まで落ちるとウインドウウォッシャーが作動しなくなる弁が備わり、空気圧管理もできるようになっている。(もっとも経年劣化によるエア漏れが多く、後から電動ポンプ式に改装したユーザーが少なからず存在する)
快適装備類は大衆車故に時代に応じた最小限ではあったが年々増強されていった。ヒーターは標準では空冷エンジン車で多用されるエンジン冷却風の単純な導入でなく、排気ガスの廃熱を熱交換器で取り入れて車内を暖める方式で、正常な状態ならガソリンや排気ガスによる臭気・空気汚染が起きない設計であり、さらに1963年モデル以降はそれまでより暖房効率を高める改良が行われている。またこれでは不足な酷寒地では、別にガソリン燃焼式の温風ヒーターを、フロントノーズ内にオプション搭載することができた。末期にはエンジンルームの空隙を利用したコンプレッサー装備でクーラーの搭載も可能になっている。
1950年代以降、カーラジオなどのオーディオ類も装備されるようになったが、ラジオに関してはドイツ本国仕様だけでもテレフンケンやブラウプンクトなど複数メーカーの製品が採用されており、アメリカ輸出仕様や日本仕様でも各国の電波法・放送局・メンテナンス事情に合わせて現地製カーラジオが搭載されるなど一様ではない。
ボディ、シャーシとも簡潔な構成で改造の余地が大きい自動車であったが、これを生かして1960年代にはバスタブボディを被せたデューン・バギーが生まれ、カリフォルニアの砂漠地帯などでファンカーとして楽しまれた。また、バギーカーレースであるカルフォルニアで行われる「バハレース」用でもビートルが活躍し、オフロード仕様に改造されたビートルを「バハ・バグ」と呼ぶようになった。別例を挙げれば「ミニ・モーク」等各社からバギーカースタイルの悪路走破を一番目的としないレジャー・カーがリリースされた。
1970年代には、キャル・ルック (California Look) と呼ばれるスタイルのカスタム・ビートルがアメリカ西海岸を中心とする若いエンスー達によって生まれた[1]。これはドラッグレースカーのようにフロントの車高を下げ、チューンしたエンジンを搭載しながらも、ボディはシンプルにとどめたストリートスタイルである。現在においても当時の復刻アルミホイールやポルシェのホイール流用、アフターパーツとしてのボディキットなどビートルの改造スタイルの主流として多くの愛好者が存在している。
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フォルクスワーゲン・タイプ82E(1941-44年)、キューベルワーゲンのシャーシにKdFのボディを載せたもの、1945年からタイプ51に名称変更。
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フォルクスワーゲン・タイプ18A(1949年)、ヘプミューラー製(後にパプラー製)の警察用コンバーチブル。
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フォルクスワーゲン・タイプ14A(1950年)、ヘプミューラー製2座コンバーチブル。
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フォルクスワーゲン・タイプ15(1961年)、カルマン製4座コンバーチブル。
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フォルクスワーゲン・1302S(1971年)、前輪サスの形式が変更になりボンネットが膨らんだ。
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フォルクスワーゲン・1303(1973年)、前面ガラスが曲面ガラスに変更された。
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フォーミュラ・Vee(1966年)、ビートルを利用したレースカー
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バハ・バグ
シャシ、ボディ流用の悪路走破重視であるカスタムカーの部類に入る -
デューン・バギー
バハ・バグ同様シャシのみ流用のカスタムカー。
注釈
- ^ ヒトラーが同時期にフリッツ・トートを起用して広域整備を計画していた、自動車専用高速道路「ライヒスアウトバーン」を念頭に置いた条件である。1930年代中期、この速度を保って巡航できる1.0 Lクラスの4座小型乗用車は、世界的に見てもいまだほとんど存在していなかった。
- ^ 当時、水冷エンジンは冬期の冷却水凍結によるトラブルや始動困難が多く、寒冷なドイツではその対策が切実な課題であったため。またヒトラーはタトラの小型空冷エンジン車に、その簡易さと耐久性の高さから傾倒していた。
- ^ ただし、ヒトラー自身は流線型デザインの理論面を充分に理解していなかった。ヒトラーがポルシェとの会談で自ら描いて提示した「自動車」の側面図が残っているが、前方こそ当時から知られていた通俗的な流線型車の丸みを帯びているものの、後部は四角いノッチバックで、いわゆるヤーライ型流線型車に属するのちのタイプ1とはまったく関連性がない。
- ^ ドイツ・フォードは1932年からケルン工場で、大衆車市場への参入を狙って1000 - 1200 ccクラスの小型乗用車「ケルン」「アイフェル」を相次いで生産していた。1939年には「アイフェル」の後継モデルである流線型ボディの初代「タウヌス」(1172 cc・34 HP)を発売、このタウヌスシリーズは第二次世界大戦後の生産再開以降、フォルクスワーゲンのドイツ市場における競合車種となっている。
- ^ 車名は文字通りの「国民車」である「フォルクスワーゲン」として計画されていたが、ヒトラーは下話もなくいきなり「KdF」と車名を決定してしまったため、公式名称やPR資料等の変更に周囲が奔走する羽目になった。
- ^ 日本では1960年代以降、自治体消防に救急車を配備しての救急搬送が普及し始めるまで、急患の場合はかかりつけの開業医に自宅まで往診してもらうことが普通であった。この往診の移動需要から、日本の開業医は近代以前には駕籠、明治時代以降は人力車や自転車、更にはオートバイや自動車といった新しい交通手段の先駆的ユーザーとなってきた歴史がある。
出典
- ^ a b c d e f g “フォルクスワーゲン・ビートル(1947年)”. GAZOO. 2020年7月3日閲覧。
- ^ 椎橋 2011, pp. 100, 105.
- ^ 椎橋 2011, pp. 104–105.
- ^ a b Volkswagen社、旧型「Beetle」の生産を終了 日経BPネット 2003年8月1日
- ^ VW「ビートル」生産終了へ 80年の歴史を持つ名車朝日新聞DIGITAL(2018年9月14日)2018年9月20日閲覧。
- ^ “VW、ビートルの生産を終了 初代から80年の歴史に幕”. 毎日新聞 (2019年7月11日). 2019年7月11日閲覧。
- ^ 椎橋 2011, p. 101.
- ^ 椎橋 2011, p. 103.
- ^ ワーゲン・ストーリー J・スロニガー著/高斎正 グランプリ出版 ISBN 4-906189-24-5
- ^ a b c 椎橋 2011, p. 105.
- ^ 椎橋 2011, pp. 103–104.
- ^ 三栄書房「ラリー&クラシックス Vol.4 ラリーモンテカルロ 100年の記憶」内「ラリーモンテカルロ・ヒストリック マシン総覧」より抜粋、参考。
- ^ F-Vee誕生50年を祝い、デイトナに名選手集結へ
- ^ 占いやらレコードやら 何かいい事・・・ -マニアどたん場の殺到 読売新聞 1977年12月24日 夕刊8頁
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