ティモフェイ・ドクシツェル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/14 02:56 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2013年10月) |
ティモフェイ・ドクシツェル Тимофей Докшицер | |
---|---|
生誕 |
1921年12月13日 ウクライナ社会主義ソビエト共和国、ニジィン |
死没 |
2005年3月16日(83歳没) リトアニア、ヴィリニュス |
学歴 |
中央音楽学校 グネーシン音楽大学 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | トランペット奏者 |
担当楽器 | トランペット |
生涯
炭鉱夫の息子としてニジィンに生まれ、10歳でトランペットを始める。 中央音楽学校とグネーシン音楽大学を卒業し、1947年にプラハ国際コンクールにて優勝。1957年にモスクワ音楽院を修了する。
ヴァイオリンやピアノと同じく、独奏楽器としてのトランペットの可能性を実証した点で、世界的に傑出したトランペット奏者の一人である。そのレパートリーは、サラサーテの《ツィゴイネルワイゼン》やガーシュウィンの《ラプソディ・イン・ブルー》などから、果ては《ホラ・スタッカート》(グリゴラシュ・ディニク作曲)や、リムスキー=コルサコフの《熊蜂の飛行》など、超絶技巧を要するものまで多岐に渡り、 多くの録音を遺した。
アレクサンドル・ゲディケやミェチスワフ・ワインベルク、アレクサンドル・アルチュニアン、ウラディーミル・ペスキンらからトランペット協奏曲を献呈された。また、母校グネーシン音楽大学で教鞭を執った他、トランペットの歴史についてや奏法論、回想録などの著作がある。
チャイコフスキーの「白鳥の湖」(ロジェストヴェンスキー指揮による録音)、ショスタコーヴィチの「ボルト」(マクシム・ショスタコーヴィチ指揮)のソロが有名。何度も来日し、ソロ・アルバムも多数リリース。乾いた音色で、コロラトゥーラ・ソプラノのようにコロコロと跳ね回るような機動性のある演奏を得意とする。
2005年3月16日にリトアニアのヴィリニュスにて死去した。
*ドクシツェルを聴くたびに華麗なテクニックに驚かされるばかりでなくその演奏内容の知的な高さに感動する。(クルト・マズア)
*ヴァイオリニストなら、ハイフェッツかオイストラフ、ピアニストならホロヴィッツに比すべき偉大な音楽家だ。(ルイ・ダヴィドソン)
*ドクシツェルが演奏すると、ボリショイ劇場管弦楽団がまるで違った響きを出す。(マルク・エルムレム)
脚注
関連項目
- セルゲイ・ナカリャコフ - トランペットを始めたころにドクシツェルの影響を受けており、2012年にはドクシツェルへのオマージュアルバムをリリースしている。[1]
外部リンク
- Timofei Dokchitser(ロシア語・英語)
- ^ セルゲイ・ナカリャコフ‐ディスコグラフィ‐ドクシツェルに捧ぐワーナーミュージック・ジャパン(2018年3月4日閲覧)
- 1 ティモフェイ・ドクシツェルとは
- 2 ティモフェイ・ドクシツェルの概要
固有名詞の分類
ロシアのトランペット奏者 |
ティモフェイ・ドクシツェル セルゲイ・ナカリャコフ |
- ティモフェイ・ドクシツェルのページへのリンク