スティーブ・マックイーン 俳優として

スティーブ・マックイーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/12 15:54 UTC 版)

俳優として

1950年代

「セントルイス銀行強盗」でのマックイーン

1952年、GI法による援助金を得てマックイーンはニューヨークでサンフォード・マイズナーのネイバーフッド・プレイハウスで演劇の勉強を始めた[4]。うわさによれば、後に「King of Cool」と渾名されるマックイーンの初めての台詞は、1952年にイディッシュ・シアターのスター女優であったモリー・ピコンがプロデュースした劇中でのダイアログであった。マックイーンの演じたキャラクターが発した短い台詞は「Alts iz farloyrn ("All is lost.")」であった[15]。この間に彼はステラ・アドラーに演技を学び、そのクラスでジア・スカラと出会っている[16]

彼は週末にロングアイランド・シティ・レースウェイで行われるレースに参加して賞金を稼ぎ、所有した多数のバイクの最初となるハーレーダビッドソンを購入した。彼はすぐに優れたレーサーとなり、毎週末におよそ100ドル(2020年時点の$900と同等)の賞金を稼いで家に帰った[4][17]。その後ABCの『ジュークボックス・ジュリー』(1953-54シーズン)に音楽の審査員として出演した[18]

マックイーンは『Peg o' My Heart』、『結婚式のメンバー英語版』、『Two Fingers of Pride』等の劇に端役として出演した。ブロードウェイのデビューは1955年の『夜を逃れて』で、ベン・ギャザラが主役であった[4]

1955年後半に25歳のマックイーンはニューヨークを離れ、カリフォルニアに向かった。エコーパーク地区のベスタ通りに住み、ハリウッドでの演劇の仕事を探した[19]。『ウェスティングハウス・スタジオ・ワン英語版』のエピソード、「The Defenders」に出演すると、ハリウッドのマネージャーであるヒラード・エルキンス(マックイーンの最初の妻、ネリーをマネージメントしていた)の目にとまる[20]。エルキンスはB級映画が若い俳優を評価するのに適した場所だと決めた。マックイーンはロバート・ワイズの『傷だらけの栄光』(ポール・ニューマン主演)に最初の端役を得た。続いて『ニューヨークの顔役』、『マックイーンの絶対の危機』(初の主演)、『セントルイス銀行強盗』に出演した。

マックイーンの最初のブレイクはテレビ映画であった。デイル・ロバートソン主演のNBCの西部劇『拳銃街道』に出演した。マックイーンのマネージャーとなったエルキンスはプロデューサーのヴィンセント・M・フェンリーへの売り込みに成功し、『トラックダウン』に賞金稼ぎのジョシュ・ランダル役で出演することとなった。『トラックダウン』の主役は古くからのニューヨークでのレース仲間であったロバート・カルプであった。その後マックイーン主演のパイロットフィルムが撮影され、それは『拳銃無宿』のタイトルで1958年9月にCBSで放送された。

1960年代

『拳銃無宿』(1959年)。マックイーン、ヴァージニア・グレッグ。
大脱走』(1963年)
ハイウェイ』(1965年)

『拳銃無宿』のDVDのインタビューで『トラックダウン』主演のロバート・カルプは、ハリウッドにマックイーンを連れてきて、ランダルの役がもらえるようにしたのは自分だと主張している。彼は、マックイーンに「早撃ちの芸術」を教えたのだと言うのである。そして撮影の2日目には、マックイーンが彼をたたきのめしたのだと付け加えている。マックイーンはこのシリーズに出演することでよく知られるようになった[4]。ランダルの特別なホルスターは、典型的な西部劇のキャラクターがリボルバーを収めたのに対して、ソード・オフ(銃身切断)のウィンチェスターライフルメアーズレッグ英語版と渾名される)を収めることができた。しかしながら、ガンベルトのカートリッジは「より手強く見える」ということで、ダミーの.45-70が選ばれた。賞金稼ぎの一般に否定的なイメージと結びついて、ミステリーと無関心で満たされるアンチヒーローのイメージを増し、この番組を典型的なTV西部劇から卓越させた。1958年から1961年前半まで続いた94のエピソードでマックイーンはロサンゼルス、チャッツワースのアイヴァーソン・ムービー・ランチのなじみとなった。『拳銃無宿』の屋外アクションの大半は同所で撮影された。

29歳のときにマックイーンは、重要な俳優の仕事を得た。サミー・デイヴィスJr.がラジオでフランク・シナトラについて否定的な発言をした後、『戦雲』からシナトラがデイヴィスを降板させ(※)、その役(序列4番目待遇 シナトラのジープ専属運転士)がマックイーンに回ってきた。シナトラはマックイーンに特別な何かを感じた。マックイーンが演じたビル・リンガーは、ジープを高速で運転したり、飛び出したり、トミーガンを扱ったりした。

※サミーは“僕の方が彼よりも歌もダンスも巧いのに しばし高圧的な言動なんだ…” と発言

『戦雲』の後、監督のジョン・スタージェスはマックイーンに次の映画の役を与え、「彼にカメラを与える」と約束した。『荒野の七人』(1960年)でマックイーンはヴィン・タナーを演じ、ユル・ブリンナーロバート・ヴォーンチャールズ・ブロンソンジェームズ・コバーンらと共演した[21]。同作はマックイーンの初のメジャーヒット作となり、『拳銃無宿』からの撤退に繋がった。無口なマックイーンの集中的な描写は、彼の経歴を描き出した。彼は射撃の際にタッチを付け加えた。それはショットガンを振って弾丸をロードする際、ショットのバックグランドの間に銃を繰り返しチェックすること、帽子の縁を拭くことなど。その仕草は共演者のブリンナーを悩ませた。彼はマックイーンが場面を盗もうとしていると主張した[4]。本作の悪役カルヴェラを演じたイーライ・ウォラックは自叙伝[22] で、ブリンナーとマックイーンのキャラクターが初めて出会う葬列シーンの撮影を見ている間、自分の楽しみを隠すのに苦労したと伝えている。ブリンナーはマックイーンがショットガンを大きく振るアクションに激怒した。それは観客の注意をマックイーンに効果的に回した。ブリンナーはマックイーンと同じ場面の中で銃を抜くことを拒否した。そして、彼のキャラクターが銃を速く抜くのを望まなかった[4]

マックイーンはスタージェスの次の大作、『大脱走』(1963年)にメインキャストとして出演することとなった。同作は第二次世界大戦中にドイツ軍の捕虜収容所スタラグ・ルフト IIIで発生した脱走事件を元にした実話であった。マックイーンが演じるバージル・ヒルツはオートバイで鉄条網をジャンプするが、保険会社が契約に難色を示したためマックイーンは実際にジャンプできず、代役として友人でバイク仲間のバド・エキンズが行った。エキンズは遠目ではマックイーンによく似ていた[23]。後にジョニー・カーソンが『ザ・トゥナイト・ショー』の放送でマックイーンのジャンプを祝福しようとすると、マックイーンは「あれは僕じゃない。あれはバド・エキンズだ。」と言った。本作は興行的に大成功し、マックイーンのスーパースターとしての身分を確実にした[24]

1963年、マックイーンは『マンハッタン物語』にナタリー・ウッドと出演した。その後『ネバダ・スミス』を演じたが、これはハロルド・ロビンズの小説『大いなる野望』からのキャラクターで、小説の映画版は2年前に製作され、アラン・ラッドがネバダ・スミスを演じている。『ネバダ・スミス』ではカール・マルデンスザンヌ・プレシェットと共演し、同作は興行的に大成功した。マックイーンは1965年の『シンシナティ・キッド[25] でポーカープレイヤーを演じた後、1966年の『砲艦サンパブロ』で機関兵を演じ、自身唯一のアカデミー賞にノミネートされた。同作ではキャンディス・バーゲンリチャード・アッテンボロー(以前『大脱走』で共演した。)と共演している[7]

ジャクリーン・ビセットロバート・ヴォーン、ドン・ゴードンらと共演した1968年の『ブリット』は、彼の最も有名な映画の1本であり、オスカー賞候補にノミネートされた。同作では先例がなく、その後果てしなく模倣されることとなるサンフランシスコでのカーチェイスが特徴であった。マックイーンは運転シーンがクローズアップされたが、実際に運転したのはカーチェイスシーンのおよそ1割で、残りの部分はスタントドライバーのバド・エキンズとローレン・ジェーンズが運転した[26]。追われる黒のダッジ・チャージャーはベテランスタントドライバーのビル・ヒックマンが運転した。マックイーン、その代役とヒックマンはシーンが撮影される前に高速で接近して運転する練習をして数日を過ごした[27]。『ブリット』は製作予算がオーバーしたため、ワーナー・ブラザースは彼の残りの映画(合計7本)に関して、契約を取り消した。

『ブリット』が興行上大ヒットとなり、ワーナー・ブラザースはマックイーンを取り戻そうとした。しかし、彼はそれを拒絶した。そして次回作は独立スタジオが製作し、ユナイテッド・アーティスツが配給を行うこととなった。この映画のために、マックイーンはイメージの変更を選んだ。1968年の『華麗なる賭け』では華やかな富豪役を演じ、共演はフェイ・ダナウェイであった。翌年彼はウィリアム・フォークナー原作の南部の時代劇、『華麗なる週末』に出演した。

1970年代

1971年、マックイーンは十分に認められなかったカーレース映画『栄光のル・マン』に出演、翌72年には老ロデオ乗りを描いた『ジュニア・ボナー/華麗なる挑戦』に出演した。その後再びサム・ペキンパー監督の『ゲッタウェイ』(1972年)に出演、同作で後の妻となるアリ・マッグローと共演した。1973年には『パピヨン』でデビルズ島の囚人を演じた。同作ではダスティン・ホフマンが悲劇的なサイドキックを演じた。

1973年、ローリング・ストーンズがアルバム『山羊の頭のスープ』に収録した「スター・スター」でマックイーンについて言及した。伝えられるところでは、マックイーンはこれを楽しみ、個人的に許可を与えた[28]

『ゲッタウェイ』公開時までマックイーンは世界で最も高給取りの俳優であった[29]。しかし、1974年の『タワーリング・インフェルノ』で長年のライバルであったポール・ニューマンや、かつて共演したダナウェイと共に出演して世界的な大ヒットを記録した後、マックイーンは公衆の前から姿を消し、オートバイレースに集中したり、モーターホームとヴィンテージのインディアンと共に国中を旅行した。彼は1978年の『民衆の敵』まで復帰しなかった。ヘンリック・イプセン戯曲を映画化した本作では、ヒゲを蓄え眼鏡を掛けた19世紀の医師を演じたが、全国での公開は見送られ、自主上映会などで公開された。

彼の最後の2つの映画は、実話に基づいていた。『トム・ホーン』は、元陸軍の斥候兵がプロのガンマンとして大牧場に雇われ牛泥棒を追い詰め、後に羊飼いの少年を射殺した容疑を掛けられるという西部劇で、『ハンター』は現代の賞金稼ぎについてのアクション映画で、両方とも1980年に公開された。

逃した役柄

マックイーンは『ティファニーで朝食を』の主演男優を依頼されたが、『拳銃無宿』の契約のため受けることができなかった(代わりにジョージ・ペパードが起用された)[4][30]。また『オーシャンと十一人の仲間[31]、『墓石と決斗』、『明日に向って撃て!』(彼の弁護士とエージェントはポール・ニューマンの弁護士とエージェントと出演料に関して合意することができなかった)[4][30]、『ザ・ドライバー[32][33]、『地獄の黙示録[7]:172『ジャックポット』[34]、『ダーティハリー』、『遠すぎた橋』、『フレンチ・コネクション』(彼は他の刑事映画に出演したくなかった)[4][30]、『未知との遭遇』などの出演も依頼されていた。

グラン・プリ』のDVDに収録されたジョン・フランケンハイマー監督とジェームズ・ガーナーのインタビューによると、フランケンハイマーは当初アメリカ人F1ドライバーのピート・アーロン役にマックイーンを考えていた。フランケンハイマーはマックイーンに会って出演交渉をすることができず、代わりにプロデューサーでビジネスパートナーのエドワード・ルイスをマックイーンの元に送った。マックイーンとルイスはたちまち衝突し、会談はご破算となり、ガーナーがアーロン役に起用された。

スティーヴン・スピルバーグ監督は『未知との遭遇』のロイ・ニアリー役に当初マックイーンを考えていた。『未知との遭遇』のDVDでスピルバーグは、バーでマックイーンに会い、そこでマックイーンはビールを次から次へと飲んで酔っ払っていたという。別れる前にマックイーンは、スピルバーグに対して役を受けることはできない、なぜならキューに合わせて泣くことができないからだと話した[35][36]。スピルバーグはニアリーが泣くシーンをストーリーからカットすると申し出た。しかしマックイーンは異議を唱え、それは脚本の中で最高の場面だと語った。ニアリー役は結局リチャード・ドレイファスが演じることとなった。

ウィリアム・フリードキン監督はマックイーンを『恐怖の報酬』(1977)の主役に起用することを望んだ。『恐怖の報酬』はドミニカ共和国で主に撮影されることになっていたが、マックイーンは撮影期間中にアリ・マッグローと離れたくなかった。マックイーンはマッグローをプロデューサー役で出演させるようフリードキンに頼み、彼女は主要部分の撮影時にその場に居合わせることが考えられた。フリードキンはこの状態に同意せず、マックイーンの代わりにロイ・シャイダーを起用した。フリードキンは後に、マックイーンを起用しなかったことが映画のパフォーマンスと興行収入を損なったと述べている。

スパイ小説家のジェレミー・ダンズは、スティーブ・マックイーンがイアン・フレミングの小説『ダイヤモンド密輸作戦英語版』の映画化において主役として考えられていることを明らかにした。マックイーンは、南アフリカでダイヤモンド密輸組織に潜入捜査を行う秘密エージェントのジョン・ブレーズを演じる。脚本は1964年の時点で存在したが、プロジェクトは複雑化し結局棚上げされた[37]

マックイーンとバーブラ・ストライサンドは『ガントレット』に暫定的に配役された。しかし両者はエゴが衝突しうまくやっていくことができなかった。両者は降板することとなり、代わりにクリント・イーストウッドソンドラ・ロックが起用された。

マックイーンはディヴィッド・マレルの1972年の小説『ランボー』の映画化が発表されると、「ジョン・ランボー」のキャラクターに対する関心を表した。しかしプロデューサーはマックイーンの年齢を理由にそれを拒絶した[38][39]。1976年には『ボディガード』(ダイアナ・ロスと)への出演を打診された。しかし、映画はマックイーンの死後まで制作されなかった[40]。『ブラッディ・ガン英語版』の計画は1974年初頭に始まり、マックイーンの主演が考えられていたが、製作開始は1980年となり、その頃にはマックイーンは病床にあったため、トム・セレックが主演となった[41]。マックイーンは『レイズ・ザ・タイタニック』の主演もオファーされていたが、脚本は平凡であると感じられた。『タワーリング・インフェルノ』出演後にアーウィン・アレンと契約し、1980年に続編への出演を打診されたが、既に病床にあった。映画化は廃棄され、アレンはポール・ニューマン主演で『世界崩壊の序曲』を製作したが、興行的に大失敗した。マックイーンは『タワーリング・インフェルノ2』を辞退した直後に死去した[要出典]


注釈

  1. ^ このエピソードは、『カー・SOS 蘇れ!思い出の名車』シーズン3第3話の主題となっている。この回では番組MCのティム・ショーとファズ・タウンゼントがスプライトMk.2をレース当日そのままに近い状態にまで修復し、撮影時は存命だったスターリング・モスが実際に運転した。モスは番組中でスプライトと、チームメイトであったマックイーンとの思い出を語っていた。
  2. ^ 別音源で、一つを宮部、もう一つを内海が担当しているケースが多い。

出典

  1. ^ http://variety.com/1998/film/news/terry-leslie-mcqueen-dies-at-38-1117468987/
  2. ^ The Getaway (1972)”. 2020年4月9日閲覧。
  3. ^ http://www.mcqueenonline.com/birthcertificateandfirsthome.htm
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab Terrill, Marshall (1993). Steve McQueen: Portrait of an American Rebel. Plexus Press. ISBN 978-1-556-11380-2 
  5. ^ Obituary Variety, November 12, 1980.
  6. ^ a b c d Marc Eliot Steve McQueen: A Biography Crown Publishing Group 2011; ISBN 978-0-307-45323-5
  7. ^ a b c d e f g h i j Nolan, William (1984). McQueen. Congdon & Weed Inc.. ISBN 0-312-92526-3 
  8. ^ McQueen Toffel, Neile (1986). My Husband, My Friend. Penguin Group. p. 4. ISBN 0-451-14735-9 
  9. ^ McQueen: The Untold Story of a Bad Boy in Hollywood - Penina Spiegel. https://books.google.com/books?id=MEc4Le05JFUC&dq=%22JULIA+ann%22+%22MCQUEEN%22&q=%22JULIA+ann%22 2012年1月15日閲覧。 
  10. ^ Mackay, Kathy (1980年10月20日). “Steve McQueen, Stricken with Cancer, Seeks a Cure at a Controversial Mexican Clinic”. People. 2010年8月7日閲覧。 “Raised as a Catholic, he now feels he has, according to one friend, 'made his peace with God.'”
  11. ^ Leith, William (2001年11月26日). “Easy rider”. New Statesman. 2010年8月7日閲覧。 “Steve knew what it was like to be dyslexic, deaf, illegitimate, backward, beaten, abused, deserted and raised Catholic in a Protestant heartland.”
  12. ^ McCoy, Malachy (1975). Steve McQueen, The Unauthorized Biography. Signet Books. ISBN 0-352-39811-6 
  13. ^ Enk, Bryan. “Real Life Tough Guys”. Yahoo.com. 2013年7月27日閲覧。
  14. ^ Famous Veteran: Steve McQueen”. Military.com. 2014年3月8日閲覧。
  15. ^ Karlen, Neal, "The Story of Yiddish: How a Mish-Mosh of Languages Saved the Jews," William Morrow, 2008, ISBN 006083711X
  16. ^ a b Saint James, Sterling (December 10, 2014). Gia Scala: The First Gia. Parhelion House. ISBN 978-0989369510 
  17. ^ BLS.gov”. BLS.gov (2011年8月17日). 2012年1月15日閲覧。
  18. ^ Jukebox Jury: Research Video, Inc.: Music Footing Licensing Agency and Vintage Television Footage Archive
  19. ^ Our Lady of Loretto Elementary School: Local History Timeline”. 2011年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年6月23日閲覧。
  20. ^ a b McQueen Toffel, Neile (2006). My Husband, My Friend. Signet Books. ISBN 1-4259-1818-2 
  21. ^ The Magnificent Seven”. Turner Classic Movies. 2020年4月4日閲覧。
  22. ^ Wallach, Eli (2005). The Good, the Bad and Me: my anecdotage. Houghton Mifflin Harcourt. ISBN 0-15-101189-3 
  23. ^ Rubin, Steve. - Documentary: Return to 'The Great Escape. - MGM Home Entertainment. - 1993.
  24. ^ Maltin, Leonard (1999). Leonard Maltin's Family Film Guide. New York: Signet. p. 225. ISBN 0-451-19714-3 
  25. ^ The Cincinnati Kid Review”. 2020年6月3日閲覧。
  26. ^ a b Myers, Marc (2011年1月26日). “Chasing the Ghosts of 'Bullitt'”. The Wall Street Journal. http://online.wsj.com/article/SB10001424052748704698004576104001598265530.html?mod=WSJ_LifeStyle_Lifestyle_5 2011年1月26日閲覧。 
  27. ^ Renfroe, Jeff (2014年). “I Am Steve McQueen”. Documentary DVD. Network Entertainment. 2015年9月15日閲覧。
  28. ^ Carr, Tony (1976). The Rolling Stones: an illustrated record. Harmony Books. p. 77. ISBN 0-517-52641-7 
  29. ^ Barger, Ralph; Zimmerman, Keith; Zimmerman, Kent (2003). Ridin' High, Livin' Free: Hell-Raising Motorcycle Stories. Harper Paperbacks. p. 37. ISBN 0-06-000603-X 
  30. ^ a b c Jones Meg. - "McQueen biography is portrait of a rebel". - Milwaukee Sentinel. - March 19, 1994.
  31. ^ Rahner, Mark. - "Speeding "Bullitt" - New DVD collections remind us why McQueen was the King of Cool". - The Seattle Times. - June 12, 2005.
  32. ^ Burger, Mark. - "Walter Hill Crime Story from 1978 Led the Way in its Genre". - Winston-Salem Journal. - June 9, 2005.
  33. ^ French, Philip. - Review: "DVD club: No 44 The Driver". - The Observer - November 5, 2006.
  34. ^ Shields, Mel. - "Elliott Gould has had quite a career to joke about". - The Sacramento Bee. - October 27, 2002.
  35. ^ Clarke, Roger. - "The Independent: Close Encounters of the Third Kind 9pm Film4". - The Independent. - April 21, 2007.
  36. ^ Tucker, Reed, Isaac Guzman and John Anderson. - "Cinema Paradiso: The True Story of an Incredible Year in Film". - New York Post. - August 5, 2007.
  37. ^ "From Johannesburg With Love", in The Sunday Times, 7 March 2010
  38. ^ Toppman, Lawrence. - "Will He of Won't He?". - The Charlotte Observer. - May 22, 1988.
  39. ^ Morrell, David, Jay MacDonald. - "Writers find fame with franchises". The News-Press. - March 2, 2003.
  40. ^ Beck, Marilyn, Stacy Jenel Smith. - "Costner Sings to Houston's Debut". - Los Angeles Daily News. - October 7, 1991.
  41. ^ Persico Newhouse, Joyce J. - "'Perfect Hero' Selleck Takes Aim at Action". - Times Union. - October 18, 1990.
  42. ^ According to the commentary track on The Great Escape DVD.
  43. ^ McQueen Toffel, Neile, (1986). - Excerpt: My Husband, My Friend. - (c/o The Sand Pebbles). - New York, New York: Atheneum. - ISBN 0-689-11637-3
  44. ^ From Didcot to McQueen and Mulholland Drive - Sir John Whitmore”. Race Driver Blog (2013年9月22日). 2014年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月8日閲覧。
  45. ^ a b c Valetkevitch, Caroline (2007年4月28日). “Steve McQueen's Ferrari up for auction”. Thomson Reuters. http://www.reuters.com/article/entertainmentNews/idUSN2732633220070427?feedType=RSS 2008年5月26日閲覧。 
  46. ^ a b Stone, Matthew L, (2007). - Excerpt: "Steve McQueen's Automotive Legacy Archived 2008年4月19日, at the Wayback Machine.. - Mcqueen's Machines: The Cars And Bikes Of A Hollywood Icon. - (c/o Mustang & Fords). - St. Paul, Minnesota: Motorbooks. - ISBN 0-7603-2866-8
  47. ^ a b Motor Cycle, 27 August 1964. p.451. On the Rough by Peter Fraser. "All of them have been riding regularly in US Enduros and scrambles, but Bud is the only one with previous ISDT experience. He won golds last year and in 1962". Accessed 2015-12-07
  48. ^ “ISDT Sort-out”. Motor Cycle (London: Iliffe Specialist Publications Ltd) 113 (3196): 538. 
  49. ^ Motor Cycle, 3 September 1964. pp.492-494. ISDT Opening by Peter Fraser. Accessed 2015-12-07
  50. ^ a b Motor Cycle, 10 September 1964. pp.508-510. ISDT First report by Peter Fraser. Accessed 2015-12-07
  51. ^ Stone, Matt (November 7, 2010). McQueen's Machines: The Cars and Bikes of a Hollywood Icon. MBI Publishing Company. pp. 154-158. ISBN 1610601114. https://books.google.com/books?id=fo9UKUfqhA8C&pg=PA154&dq=mcqueen+ISDT&hl=en&sa=X&ei=vcS-VMKFHoiwyASlpoGYCQ&ved=0CB0Q6AEwAA#v=onepage&q=mcqueen%20ISDT&f=false 
  52. ^ a b Motor Cycle, 24 September 1964. pp.578-580. ISDT Round up by Peter Fraser. Accessed 2015-12-07
  53. ^ a b Motorcycle Sport, November 1964, pp.411-418 "Steve McQueen, last man on the course after a long stop to repair a broken chain, was speeding along to catch up when he collided with a motorcyclist; the Triumph was sadly mangled, the front fork doubled under the frame". Accessed 2015-12-07
  54. ^ アメリカ合衆国特許第 D219813号
  55. ^ Motor Trend Classic, Oct. 2006.
  56. ^ Steve McQueen: King of Cool”. LIFE (1963年6月1日). 2009年9月11日閲覧。
  57. ^ a b c Biography for Steve McQueen”. Turner Classic Movies (2009年). 2009年9月11日閲覧。
  58. ^ staff writers (1998年3月21日). “Terry McQueen; Daughter of Actor Owned Production Company”. Los Angeles Times. http://articles.latimes.com/1998/mar/21/news/mn-31156 2016年4月3日閲覧。 
  59. ^ Rachel Sexton (2009年). “Steve McQueen - Career Retrospective”. moviefreak.com. 2009年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年9月11日閲覧。
  60. ^ MacGraw, Ali. Moving Pictures 
  61. ^ All Movie Guide (2009年). “title”. American Movie Classics Company LLC.. 2009年9月11日閲覧。
  62. ^ Malcolm Boyes (1983年10月17日). “Steve McQueen's Actor Son, Chad, Is Following in His Dad's Tire Tracks as Well”. People. 2009年9月11日閲覧。
  63. ^ BarbaraLeigh.com”. BarbaraLeigh.com. 2012年1月15日閲覧。
  64. ^ McQueenonline.com”. McQueenonline.com. 2012年1月15日閲覧。
  65. ^ Comment * (2003年3月27日). “McQueen Tops Lauren.s Sex List”. Contactmusic.com. 2014年3月8日閲覧。
  66. ^ After brush with death, Lauren Hutton's life wish pulls her through - GOMC - Celebs”. Girlonamotorcycle.la. 2014年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月8日閲覧。
  67. ^ “Mamie Van Doren Bares All”. Star-News. (1987年8月5日). https://news.google.com/newspapers?id=u7kyAAAAIBAJ&sjid=nhMEAAAAIBAJ&pg=6915,1695844&dq=mamie+van+doren+affair&hl=en 2012年9月9日閲覧。 
  68. ^ Honan, Corinna (2011年11月4日). “The heart-throb who hated women: Wife-beater, drug-taker and relentless philanderer, the brutal truth about Steve McQueen”. Daily Mail. http://www.dailymail.co.uk/femail/article-2057769/Steve-McQueen-Wife-beater-drug-taker-relentless-philanderer-brutal-truth-actor.html 2015年3月28日閲覧。 
  69. ^ "Movie star's antics failed to impress Anchorage policeman," Bend, Oregon The Bulletin, 29 June 1972, p. 8
  70. ^ Dunne, Dominick. The Way We Lived Then: Recollections of a Well Known Name Dropper. 1999. New York, New York: Crown Publishers. ISBN 0-609-60388-4.
  71. ^ John Dominis/Time & Life Pictures/Getty Images. "Steve McQueen Returns to Reform School" 1963, accessed February 7, 2011
  72. ^ a b McQueen, Barbara (2007). - Steve McQueen: The Last Mile. - Deerfield, Illinois: Dalton Watson Fine Books. - ISBN 978-1-85443-227-8.
  73. ^ a b c Johnson, Brett. - "Big legend in a small town - Action film hero lived quiet life in Santa Paula before 1980 death." - Ventura County Star. - January 13, 2008.
  74. ^ Nathan Erickson, Nathan, Mimi Freedman, and Leslie Greif. - DVD Video: Steve McQueen, The Essence of Cool.
  75. ^ Lerner BH. When Illness Goes Public. The Johns Hopkins University Press, Baltimore (2006). p. 141ff. ISBN 0-8018-8462-4 
  76. ^ Interview with Burgh Joy, clinical professor at UCLA, personal archives of Barbara McQueen, 1980
  77. ^ Spiegel, Penina. McQueen: The Untold Story of a Bad Boy in Hollywood, Doubleday and Co., New York (1986)
  78. ^ Sandford, Christopher (2003), McQueen: The Biography,, New York: Taylor Trade Publishing, pp. 42, 126, 213, 324, 391, 410 
  79. ^ Lerner, Barron H. (2005年11月15日). “McQueen's Legacy of Laetrile”. New York Times. http://www.nytimes.com/2005/11/15/health/15essa.html?ex=1289710800&en=8059981c17deec5d&ei=5088 2010年5月24日閲覧。 
  80. ^ Herbert V (May 1979). “Laetrile: the cult of cyanide. Promoting poison for profit”. Am. J. Clin. Nutr. 32 (5): 1121-58. doi:10.1093/ajcn/32.5.1121. PMID 219680. http://www.ajcn.org/cgi/pmidlookup?view=long&pmid=219680. 
  81. ^ Lerner IJ (February 1984). “The whys of cancer quackery”. Cancer 53 (3 Suppl): 815-9. doi:10.1002/1097-0142(19840201)53:3+<815::AID-CNCR2820531334>3.0.CO;2-U. PMID 6362828. https://doi.org/10.1002%2F1097-0142%2819840201%2953%3A3%2B%3C815%3A%3AAID-CNCR2820531334%3E3.0.CO%3B2-U. 
  82. ^ Nightingale SL (1984). “Laetrile: the regulatory challenge of an unproven remedy”. Public Health Rep 99 (4): 333-8. PMC 1424606. PMID 6431478. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1424606/. 
  83. ^ a b c Worthington, Roger. - "A Candid Interview with Barbara McQueen 26 Years After Mesothelioma Claimed the Life of Husband and Hollywood Icon, Steve McQueen". - The Law Office of Roger G. Worthington P.C. - October 27, 2006.
  84. ^ European Stars and Stripes, 9 November 1980, p.2
  85. ^ Elyria, Ohio Chronicle Telegram, 8 November 1980, p. C-5
  86. ^ Flint, Peter (1980年11月8日). “Steve McQueen, 50, Is Dead of a Heart Attack After Surgery for Cancer; Family Was at Bedside Established His Stardom In 'Bullitt' and 'Papillon' Friend Suggested Acting 'Don't Cap Me Up'”. The New York Times. http://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=F00A1FFE3A5C11728DDDA10894D9415B8084F1D3&scp=1&sq=Steve+McQueen&st=p 2008年5月26日閲覧。 
  87. ^ Long, Trish (2015年4月25日). “Trish Long: Steve McQueen's last hours in Juarez”. El Paso Times. http://www.elpasotimes.com/story/life/2015/04/25/steve-mcqueens-last-hours-juarez/31259359/ 2016年2月29日閲覧。 
  88. ^ Steve McQueen - Find a Grave - January 1, 2001
  89. ^ うさぎと暮らす』 NO.35, 2010年、Spring, 52頁。
  90. ^ Metro.co.uk - metro Top 10 earning dead stars - October 29, 2008
  91. ^ Steve McQueen honored at Western awards - USATODAY.com”. Usatoday30.usatoday.com (2007年4月23日). 2014年3月8日閲覧。
  92. ^ Steve McQueen - Motorcycle Hall of Fame. Motorcycle Hall of Fame Museum. (2009). http://www.motorcyclemuseum.org/halloffame/hofbiopage.asp?id=227 
  93. ^ Yucatan - IMDb(英語)
  94. ^ Cullum, Paul (2006年5月14日). “Steve McQueen's Dream Movie Wakes Up With a Vrooom!”. New York Times. http://www.nytimes.com/2006/05/14/movies/14cull.html?ex=1305259200&en=367fb59d7bba836f&ei=5090&partner=rssuserland&emc=rss 2008年5月26日閲覧。 
  95. ^ Downey Jr. Launches Production Company, Lines Up Steve Mcqueen Yucatan”. The Film Stage (2010年6月14日). 2010年6月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月14日閲覧。
  96. ^ Steve McQueen Birthplace Collection”. Beech Grove Public Library. 2010年3月16日閲覧。
  97. ^ TV Guide Book of Lists. Running Press. (2007). p. 202. ISBN 0-7624-3007-9 
  98. ^ Steve McQueen-Neile Adams Collection”. Academy Film Archive. 2016年9月8日閲覧。
  99. ^ 「スティーブ・マックイーンが言い残していったこと」「暮しの手帖」1981年1-2月号 [1]
  100. ^ 東京地判昭和55年11月10日(「判例時報」981号P19、「判例タイムズ」425号P64)[2]
  101. ^ “McQueen's shades sell for £36,000”. BBC News. (2006年11月12日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/6141186.stm 2010年5月24日閲覧。 
  102. ^ Sale 14037 - The Steve McQueen Sale and Collectors' Motorcycles & Memorabilia; The Petersen Automotive Museum, Los Angeles, California, 11 Nov 2006. Bonhams & Butterfields Auctioneers. http://www.bonhams.com/cgi-bin/public.sh/pubweb 
  103. ^ Macy (Associated Press), Robert (1984年11月24日). “Steve McQueen's possessions to be auctioned today”. The Evening Independent (St Petersburg Florida). https://news.google.com/newspapers?id=SgIMAAAAIBAJ&sjid=gFkDAAAAIBAJ&pg=2486,2549033 
  104. ^ Edwards, David. “The Steve McQueen Auction”. Cycle World. オリジナルの2007年8月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070822210631/http://www.cycleworld.com/article.asp?section_id=4&article_id=222 
  105. ^ a b NationalJewelerNetwork.com アーカイブ 2010年1月16日 - ウェイバックマシン
  106. ^ Tagheuer.com[リンク切れ]
  107. ^ Bruce Willis Biography”. biography.com. 2010年6月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月7日閲覧。
  108. ^ 「吹替の帝王:福吉健インタビュー(Wayback Machineによるアーカイブ)」[3]
  109. ^ 山田康雄とイーストウッドの微妙な関係|とり・みきの吹替どうなってるの|「吹替の帝王」 Powered by 20th Century FOX Home Entertainment(2012年11月におけるアーカイブ)”. 2023年9月24日閲覧。
  110. ^ a b 月刊TVガイドビデオコレクション1983年11月号 スティーヴ・マックイーン特集 p143
  111. ^ 『パピヨン スティーヴ・マックィーン没後30年特別愛蔵版』封入インタビューより
  112. ^ “【ふきカエルインタビュー】特別編 内海賢二さんを偲んで”. ふきカエル大作戦!!. (2019年2月17日). https://www.fukikaeru.com/archives/interview_ex02_p1.html 
  113. ^ 3rd Moscow International Film Festival (1963)”. MIFF. 2013年1月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年12月1日閲覧。
  114. ^ 第5章:「スティーブ、待ってくれ!」”. 2016年9月23日閲覧。
  115. ^ url=https://www.youtube.com/watch?v=ipJ049HJau8






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「スティーブ・マックイーン」の関連用語

スティーブ・マックイーンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



スティーブ・マックイーンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのスティーブ・マックイーン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS