ジョン・フォン・ノイマン 逸話

ジョン・フォン・ノイマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/13 16:30 UTC 版)

逸話

  • その驚異的な計算能力[40]映像記憶[41][42]、特異な思考様式、極めて広い活躍領域から「悪魔の頭脳」「火星人」「1,000分の1インチの精度で噛み合う歯車を持った完璧な機械」[43]と評された。
  • 圧倒的な計算能力については数々の逸話が残っている。
    • 子供の頃、電話帳の適当に開いたページをさっと眺めて、番号の総和を言って遊んでいた。
    • 八桁と八桁のかけ算及び割り算を暗算で行う。
    • 座ってぶつぶつ独り言を言いながら放心したように天井を見つめて暗算し、数分間目を泳がせた後おもむろに口を開き、それを解くことは不可能だと主張する研究者の目の前でスラスラと問題を解いてみせた。
    • 頭にめぼしい定数や方程式をどっさり覚えていて、それらを総動員して電光石火で問題を解き、他人の着想をみるみる膨らませていった。「誰かが一つ提案しようものなら、ひっつかんで、あっという間に五ブロック先まで行ってしまう」、「自転車で特急を追いかける気分でした」と言わしめた[2]
    • プリンストンの高等研究所内に完成したコンピュータの性能をテストする為に適当な問題をやらせてみることにした。答え合わせの正しい解答が必要だったので、そこで即席の力くらべとしてフォン・ノイマンが機械と競争することになった。当時のこのコンピュータは1秒間にわずか乗算2000回の処理能力しかなかったとはいえ、先に答えを出したのはフォン・ノイマンだった[44]
    • コンピュータ・プログラム(50行のアセンブリ言語)を頭の中で作成したり修正したりする[45]
    • ロスアラモスにて科学者たちからいわゆる御神託と目されていたフォン・ノイマンとエンリコ・フェルミだが、ある時二人は流体力学に関してちょっと変わった競争形式の議論を行っていて、それはめいめいが問題となっている事柄を一番速く解こうとするものであった。しかしフォン・ノイマンの稲妻のような分析能力に太刀打ちできる者はやはりなく、彼が常に勝ちを収め、かの天才フェルミであってもそれは例外ではなかった[46]
    • さる抜群の実験物理学者とエミリオ・セグレが、ある積分によって定まる問題のことで悪戦苦闘していたところ、部屋の開きっ放しになったドアからフォン・ノイマンが廊下を歩いてくるのが見えた。二人が助けを求めると彼はドアのところまで来て黒板をチラリと眺め、その場でいきなり答えを書き取らせて彼らを仰天させた。このような例が1ダースではきかなかったという[47]
  • 語学にも非常に優れていた。
    • 幼少期に家庭教師たちに仕込まれたドイツ語、英語、フランス語、イタリア語の他、父マックスとギムナジウムの授業からラテン語とギリシャ語を身につけ、こうして母語のハンガリー語と合わせて7つの言語を扱うことが出来た。また、これらの内のどの言語で話しても、一つの言語しか話せない人よりも速く話せたと言われている[48]
    • 3ヵ国語で同時にジョークや猥談を行う。
    • しかし、手紙の英語のスペルはよく間違えていた。
    • たびたびドイツ語の語句に対応する英語の語句を尋ねていたようで、アメリカ移住後もアイデアはドイツ語で思い付き、それを英語に素早く翻訳していたようである[49]
  • オンケンの『世界史』全44巻を読み終え、10歳にして、現在の出来事と歴史上の出来事との間の類似点を指摘したり、両者を軍事戦略や政治戦略の理論と関連付けて論じることが出来た[50]
  • ある時、ハーマン・ゴールドスタインがフォン・ノイマンの能力を試してみようと、ディケンズの『二都物語』の冒頭部分を言ってみてくれと頼んだところ、一瞬もためらうことなく第一章を暗唱し始め、もういいと言うまで10分か15分間暗唱し続けた[51]
  • 幼少時代、深い思考に入るときに部屋の隅へ行き壁と壁の継ぎ目を凝視するクセがあった[52]
  • 入院後は、車椅子で救急車に乗ってまで、アメリカ原子力委員会の会合に出席したりした[53]
  • 後にノーベル経済学賞を受賞するジョン・ナッシュは、学生時代にノイマンにナッシュ均衡に関する考えを紹介している。この時、ノイマンは理論の結論を聞く前に「それは注目に値するほどのことかね、要は不動点定理を適用しているだけじゃないか」と一蹴した。なお、ナッシュ均衡に関してはナッシュ自身も「私の業績の中でも特に目立たぬもの」と評している[54]
  • 1930年9月7日ケーニヒスベルクで開催されていた「厳密科学における認識論」についての第2回会議においてクルト・ゲーデル第一不完全性定理を発表すると、発表の後にノイマンはゲーデルと個人的に会話を行い、定理の内容を直ちに理解した。その会議の後、ゲーデルは第二不完全性定理を得て論文にまとめ、論文は11月17日に受理された。いっぽう、ノイマンは独力で第二不完全性定理を導き、その結果を11月20日付けの手紙でゲーデルに知らせた。ゲーデルはすぐに返答の手紙を書き、論文の別刷を添えて返送した[55][56]。この分野で自分に先んじたゲーデルのことは例外的に尊敬しており、生涯高く評価し続けた[57]
  • 何十年も居住している家の棚の食器の位置すら覚えられなかったほか、1日前に会った有名人の名前すら浮かばなかったことも。興味がないものに対しては全く無関心であると評された。またこれらの事は、ノイマンが事柄の記憶にひきかえ、意外にも画像の記憶が不得手であったことに由来しているとも言われる。親友であったスタニスワフ・ウラムの自伝にも、そのことを表す記述が見られる。「ジョニーは与えられた物理的状態の下でどんなことが起こっているかを推測する直観的常識や、十分な感覚あるいは趣味を、ほとんど持ち合わせていなかった。彼の記憶は主に耳からのもので、目からのものではなかった」[58]
  • 政治での立場はタカ派であった。
    • 青年期に経験したハンガリー革命アーサー・ケストラーの『真昼の暗黒』やスターリン政権下のソビエト連邦への短い旅行などを通じて、ナチズムと共産主義を「左右の全体主義」と嫌っていた[59]。ソ連への先制攻撃を強く主張し、後に『ライフ』誌が掲載した死亡記事によれば[60]、1950年に「明日彼らを爆撃しようではないかと言われたら、なぜ今日爆撃しないのかと言う。今日の5時にと言うなら、なぜ1時にしないのかと言う。」("If you say why not bomb them tomorrow, I say why not bomb them today? If you say today at 5 o'clock, I say why not 1 o'clock?") という発言をしたとされる。
    • ハト派だったノーバート・ウィーナーとは性格から政治信条まで好対照だったため、比較に出されることが多い[61]。ウィーナーとは1945年以降にサイバネティックスの分野で共同研究をした。1940年代後半にノイマンが生物学の研究のためには細胞を研究すべきだという手紙をウィーナーに出した結果、ウィーナーの怒りを買い、共同研究は終わりを迎えた[62]
  • ウラムによれば、フォン・ノイマンは極めて広範囲の科学に興味を抱き、数学者として複雑な推論に由来する妙技や抜群の洞察力がある一方で、絶対的自信に欠けるところがあったという。最高水準にある新しい真理を直感的に予知する力、新定理の証明や定理化に一見不合理なところがあることを知覚する特殊才能に欠けると感じていたようである[63]
  • マンハッタン計画において原爆開発に関わっている科学者はロスアラモスに居住すべしとする規則があったが、フォン・ノイマンはこれを免れた数少ない者の1人であった[64]
  • チューリッヒにいた頃、親友のユージン・ウィグナーと共にビリヤードを覚えようと思い立ち、ビリヤードのある喫茶店へ出かけ、老練なウェイターにビリヤードを教えてくれるように頼んだ。するとそのウェイターは「君たちは勉強が好きかい。女の子に興味があるかい。本当にビリヤードを習いたいんなら、どっちもやめてしまいなよ」と言った。二人はちょっと相談して、どちらか一方はやめてもよいが両方はやめられないということになり、ビリヤードを習うのをやめたという。 [65]
  • アインシュタインの心には、最も優れた人や有名な人も含め他の物理学者に対して一種の軽蔑が育まれてしまったのではないか、あまりに神格化されもてはやされ過ぎてしまったと思わないかどうかとウラムに尋ねられた際、「君の言っていることは正しい。彼は、この物理学の歴史において他の人々が自分の競争相手となるものであるという考えが、あまりにもなさ過ぎる」と同意した。 [66]
  • セクハラの常習犯で、秘書のスカートの中を覗くのが趣味だった。また下品なジョークや会話で周囲の顰蹙を買う事も多かった[67]
  • 雨中のドライブで交通渋滞にあった時、「この頃は、車は交通機関としてはだめだね。しかし素晴らしい傘になるよ」と言った。車はずっと好きであった。

  1. ^ 著者・訳者から探す:J・v・ノイマン”. みすず書房公式サイト. 2021年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月13日閲覧。
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