ジェームズ・マディソン ジェームズ・マディソンの概要

ジェームズ・マディソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/20 23:30 UTC 版)

ジェームズ・マディソン
James Madison


任期 1809年3月4日1817年3月4日
副大統領 ジョージ・クリントン
(1809年 - 1812年)
不在(1812年 - 1813年)
エルブリッジ・ゲリー
(1813年 - 1814年)
不在(1814年 - 1817年)

任期 1801年5月2日 – 1809年3月3日
大統領 トーマス・ジェファーソン

任期 1793年3月4日 – 1797年3月3日

アメリカ合衆国
下院議員(バージニア州第5選挙区選出)
任期 1789年3月4日 – 1793年3月4日

出生 1751年3月16日
13植民地 バージニア州ポートコンウェイ
死去 (1836-06-28) 1836年6月28日(85歳没)
アメリカ合衆国 バージニア州モントピリア
政党 民主共和党
出身校 プリンストン大学
配偶者 ドリー・マディソン
子女 ジョン・ペイン・トッド(継子)
署名

「アメリカ合衆国憲法の父」としてマディソンは憲法の主要な執筆者だった。1788年、ザ・フェデラリストの3分の1以上を執筆しており、これは今でも憲法に関する影響力ある解説になっている。アメリカ合衆国下院議員を務めたことでは最初の大統領でもあり、アメリカ合衆国議会第1会期ではその指導者として多くの基本的な法律を起草し、アメリカ合衆国憲法の最初の修正条項10か条バージニア権利章典に基づいたと言われている)を起草し、その成立に尽力したので権利章典の父とも呼ばれている[2]。政治理論家としてのマディソンの最も明確な信条は、新生間もない共和国が多数の専制から個人の権利を守るために抑制と均衡が必要ということだった[3][4][5][6]

マディソンはアメリカ合衆国下院の指導者として新しい連邦政府を組織化するためにジョージ・ワシントン大統領と密接に動いた。1791年にはアメリカ合衆国財務長官アレクサンダー・ハミルトンと袂を分かち、トーマス・ジェファーソンと共に「共和党」(後の民主共和党)を創設した[7]。この党は連邦党の主要政策、特に合衆国銀行ジェイ条約に反対した。1798年にはジェファーソンと共に匿名でケンタッキー州およびバージニア州決議案を書き、外国人・治安諸法に抗議した。

マディソンはジェファーソン政権の国務長官として、ルイジアナ買収を監督して国土を2倍にし、1807年の不運に見舞われた通商禁止法を提案した。大統領としてはイギリスに対する米英戦争を率いた。その戦中と戦後、その政治姿勢の多くを逆転させた。1815年までに第二合衆国銀行創設を支持し、強い軍隊および戦中に開業された新しい工場を守るための高関税を支持した。

妻はドリー・マディソン(第4代アメリカ合衆国のファーストレディ)。気前良くお金を遣った晩餐会を頻繁に開き、数多くの訪問客を快く接待したことから非常に人気が高かった。彼女の葬儀で当時のザカリー・テイラー大統領が「半世紀にわたり、まさに私達にとって第一級の女性First Lady)であった」と言及したことがファーストレディの語源になったと言われている。邸宅を構えたモントピリアアメリカ合衆国国定歴史建造物に登録されている。歴代大統領の中で一番小柄な人物で、身長は5フィート4インチ(約163センチメートル[8]、体重は100ポンド(約45キログラム)だった[9][10]


注釈

  1. ^ 1792年5月26日には既に、ハミルトンが「マディソン氏はジェファーソン氏と協力して、私と私の運営に決定的に敵対的な派閥の長になっている」とこぼしていた。Hamilton, Writings (Library of America, 2001), p. 738. 1792年5月5日、マディソンはワシントンに「形成されつつある党の精神に敬意をこめて...私はその存在に気付いている」と告げていた。 Madison Letters 1 (1865), p. 554.
  2. ^ 彼は海軍の場合に礼拝の機会が無いので、これには軍隊付き牧師を受け入れようとしていた。The text of the memoranda

出典

  1. ^ James Madison Jr.”. teachingamericanhistory.org. 2009年8月24日閲覧。 and Madison, James, Jr.,”. Princeton University. 2009年8月24日閲覧。
  2. ^ a b c Wood, 2006b.
  3. ^ Madison Debates in Convention - Tuesday June 26, 1787 「金持ちと貧乏人の間には特に違いがあることになる。....我々が長続きすることを願う仕組みを作るときに、時間が生み出す変化を見失うべきではない。人口の増加によって、人生のあらゆる苦しみに耐えて働き、その恩恵のより平等な分け前を求めて密かにため息をつく人々の比率を必ず増やすことになる。これら人々はそのうち極貧の意識の上に置かれる人々の数を上回るかもしれない。平等な選挙権法に拠れば、権力はこれらの人々の手に移ることであろう。」
  4. ^ Notes of the Secret Debates of the Federal Convention of 1787, TUESDAY JUNE 26TH 「ソファに寝そべったり、馬車に揺られている富を所有する者は、その日暮らし労働者の欲求感を判断できない。我々が樹立しようとする政府は長く続くことを目指している。現在は地主階級が強い。しかし、時間が経ってヨーロッパの国や王国に近づいた時、多くの土地所有者が比較的小さいとした場合に、貿易と製造の様々な手段を通じて将来の選挙で地主階級が重要ではなくなったとして、賢明な対抗策も無ければあなた方の政府はどうなるだろうか?今日イギリスでは、選挙があらゆる階級の人々に開かれれば、地主階級の資産は 不確かなものになるだろう。農業に関する法が間もなく制定されるだろう。この見解が正しいとすれば、我々の政府は革新に対して恒久的な国の利益を確保すべきである。土地所有者はこれら価値ある利益を支持するために、また互いに均衡と抑制を取るために、政府に参加すべきである。抑制と均衡は多数の意思に対抗して少数の富者の私有財産を守るように定められるべきである。」
  5. ^ Jerry Fresia, "Toward an American Revolution - Exposing the Constitution and other Illusions" (South End Press, 1988)
  6. ^ Fresia (1988) Chapter 3: The Constitution: Resurrection of an Imperial System
  7. ^ James Madison to Thomas Jefferson, March 2, 1794.) 「私は昨夜の新聞でニューヨークでも共和党の要請で人々の集会が開かれ、委員会がその目的で指名されたことを読んだ。」
    *Thomas Jefferson to President Washington, May 23, 1792「政府を現在の形に留めようという共和党は数が少ない。彼らは2人、3人、6人の反連邦党の者が加わってもまだ少ない。」
    *Thomas Jefferson to John Melish, January 13, 1813. 共和党と呼ぶこの党は現在の憲法を支持するために堅実である。」
  8. ^ The height differences between all the US presidents and first ladies ビジネス・インサイダー
  9. ^ 『ちょっと笑える話』ベネット・サーフ著、常盤新平訳、文藝春秋文春文庫、p24。
  10. ^ 『アメリカ大統領を読む事典』宇佐美滋著、講談社+α文庫、p259、pp418-419。
  11. ^ Brennan, Daniel. "Did James Madison suffer a nervous collapse due to the intensity of his studies?" Mudd Manuscript Library Blog, Princeton University Archives and Public Policy Papers Collection, Princeton University.
  12. ^ ポール・F・ボラー・ジュニア(著)、吉野寿子(訳). アメリカ大統領の妻たち. メタモル出版. p. 50. ISBN 4895952584 
  13. ^ Ralph Louis Ketcham, James Madison: A Biography, Charlottesville, VA: University of Virginia Press, 1971; paperback, 1990, p. 57, accessed 2009-02-06
  14. ^ James Madison Biography, American-Presidents.com, Accessed on July 29 2009.
  15. ^ Wood, 2006, pp. 163-64.
  16. ^ Selected summaries of The Federalist Papers”. 10-03-31閲覧。
  17. ^ Larry D. Kramer, "Madison's Audience," Harvard Law Review 112,3 (1999), pp. 611+
  18. ^ Lance Banning, "James Madison: Federalist," note 1, [1].
  19. ^ Madison to Hamilton Letter, July 20, 1788, American Memory, Library of Congress, accessed 2 Feb 2008
  20. ^ Matthews, 1995, p. 130.
  21. ^ Matthews, 1995, p. 142.
  22. ^ The Constitution of the United States”. 10-03-31閲覧。
  23. ^ Wood, 2006a, p. 165.
  24. ^ Paul A. Varg, Foreign Policies of the Founding Fathers (Michigan State Univ. Press, 1963), p. 74.
  25. ^ definition of Madison, James”. Free Online Encyclopedia. 2008年2月3日閲覧。
  26. ^ U.S. historians pick top 10 presidential errors”. Associated Press article in CTV (2006年2月18日). 2008年2月3日閲覧。
  27. ^ Stagg, 1983.
  28. ^ Tax Foundation Archived 2006年6月27日, at the Wayback Machine.
  29. ^ Garry Wills, James Madison (Times Books, 2002), p. 163.
  30. ^ Ibid., p. 162.
  31. ^ Drew R. McCoy, The Last of the Fathers: James Madison and the Republican Legacy (Cambridge Univ. Press, 1989), p.151.
  32. ^ Ibid., p. 252.
  33. ^ The Founding Fathers: A Brief Overview”. The U.S. National Archives and Records Administration. 2008年2月12日閲覧。
  34. ^ Widowhood” (英語). Montpelier. 2014年6月12日閲覧。
  35. ^ Wills 2002, p. 164.
  36. ^ Allan H. Keith, Historical Stories: About Greenville and Bond County, IL. Consulted on August 15, 2007.
  37. ^ Jackson, Kenneth T. (ed.), The Encyclopedia of New York City (1995) ISBN 0-300-05536-6


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