シーグラムビル シーグラムビルの概要

シーグラムビル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/11/29 06:12 UTC 版)

シーグラム・ビルディング
:Seagram Building
施設情報
所在地 アメリカ合衆国
ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区パーク街375号
状態 計画中
用途 オフィス
地上高
最頂部 159.6m
各種諸元
階数 地上38階
関連企業
設計 ルートヴィッヒ・ミース・ファン・デル・ローエ
フィリップ・ジョンソン

概要

当時のシーグラム社社長サミュエル・ブロンフマンが社屋新築を計画した際、彼の娘でイエール大学建築学を学んだフィリス・ランバート(自身、その後に現代建築家として実績を収めた)が、現代建築の視点から、当初計画されたビル設計者選定に異を唱えたことが、このビルのできたきっかけである。父に直談判して建築家の選定を委任されたフィリスは、ル・コルビュジエフランク・ロイド・ライトなど、当時の一流建築家の中で現代的なオフィス・ビル設計者に相応しい人物を多々検討した結果、ミース・ファン・デル・ローエこそが最適任者であると判断し、ミースもこれを受諾して、企画が実現した。

完成後、SOMによって設計されたレバーハウス(1952年)などとともに、モダニズム建築インターナショナルスタイルの代表的な作品として知られている。パークアヴェニューに面した敷地の大半を占める広場(プラザ)の奥に、シンプルな鉄骨とガラスで出来た箱型の塔がすっくりと建つ姿は、大きなインパクトを与えた。

このシーグラムビルの広場の印象が強かったためか、1961年にはニューヨークの地域指定条例が改正され、それまでのゾーン規制(ゾーニングとも。建物に斜線制限がかけられ、エンパイアステートビルディングのように敷地全体に建ち高くなるほどセットバックした独特の形状の摩天楼を生み出していた)から容積規制へと建築規制が変更された。

このシーグラムビルは、インターナショナルスタイルの超高層ビルの完成形を作ってしまったと言われることもある。また、後にシーグラムビルの安直な真似をした超高層ビルが増え、その結果単純な箱型デザインのビルばかりが建てられてしまうことになった[1]と言われることもある。

建築

オフィスの内部空間は仕切りのないフロアが続いており、用途に合わせ自由に仕切れるよう意図されていた。外観はガラス窓とブロンズの枠が繰り返されるデザインだった。

このビルや、インターナショナルスタイルという様式はアメリカの建築に大きな影響を与えた。この様式の特色のひとつは、建物の構造を外に出して表現することだった。ミースは骨組みなど構造材は外部から見えたほうがいいと考えた。シーグラムビルをはじめ当時の大型ビルは鋼鉄のフレームで建てられ、ガラスウォールがそこからぶら下がっていた。ミースはこの鋼鉄のフレームをむき出しにしたいと考えたが、アメリカの建築規則では溶解する温度の低い鉄の構造材は火災に備えて防火性の材質で覆うよう定めており、多くの建物ではコンクリートで鉄の柱や梁を覆っていた。ミースは構造材が全く見えなくなることだけは避けようとし、本当の構造を隠す代わりに I 形鋼(I-beam)の形のブロンズ材を表面に配して内部から鉄筋コンクリートシェルで支え、ビルの構造を示唆させるようにした。このブロンズ材は表面のガラスの間を仕切り材のようにたくさん水平に走っており、外からでもよく見ることができる。結果、320万ポンド(1,450トン)ものブロンズが建設に使われた。

シーグラムビル完成までの費用は大きく、当時最も高価な摩天楼となった。これは最高の品質の材料と、ブロンズ大理石・石灰華(トラバーチン)など高い内装材を使用したことによる。

その他、ビルのデザインで興味深いものはブラインドである。ミースはビルの外観に完璧な規則正しさを求めたが、窓ごとのブラインドや電気がバラバラになっていることにも我慢できなかった。彼は全館の電気を一斉に明滅させるスイッチをつけることを考えたがこれは断念している。またビルの各部屋の利用者がそれぞれの事情でブラインドを色々な高さに上げ下ろしすることも避けられないことだったが、まとまりのなさを少しでも避けるためにミースはビルに取り付けるブラインドを、三段階(全開、半開き、完全に下りた状態)しか調節できないものにした。

公開空地

シーグラム・ビルディング前の広場

パークアヴェニューを挟んで建つシーグラムビルとレバーハウスは、その後数十年のニューヨークの摩天楼の様式を決定付けた。シンプルなガラスの箱状の建物であること、そして通りから大きくセットバックし、通り側に大きなプラザを設けたことである。ミースは、ゾーニングによる通り上空の斜線規制から逃れて箱状の建物にするため、ビルを通りから遠ざけて敷地のほとんどを広場にした。彼はこの空間に大きな水面を設けた。ここを集いの場とする意図は当初なかったが、集いの場となるよう建設され、結果的に非常に人気のある空間となった。1961年、ニューヨーク市は全米初の包括的なビル条例(building code)を制定したが、ビルの開発者に対してシーグラムビルに倣った「公開空地(公共に開かれた私有空間)」を設けるようインセンティブを与えた。


  1. ^ ポール ゴールドバーガー『摩天楼―アメリカの夢の尖塔』P218-220


「シーグラムビル」の続きの解説一覧

シーグラム・ビルディング

(シーグラムビル から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/09 20:13 UTC 版)

シーグラム・ビルディング英語: Seagram Building)は、ニューヨークのミッドタウン、52丁目と53丁目の間のパーク街375号に建っている超高層建築物である。「シーグラム・ビル」とも呼ばれる[3]


  1. ^ National Park Service (9 July 2010). "National Register Information System". National Register of Historic Places. National Park Service. {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
  2. ^ "シーグラム・ビルディング". SkyscraperPage (英語).
  3. ^ 戸谷英世・竹山清明『建築物・様式ビジュアルハンドブック』株式会社エクスナレッジ、2009、135頁。 
  4. ^ デヴィッド・スペース著 平野哲行訳 『ミース・ファン・デル・ローエ』鹿島出版会


「シーグラム・ビルディング」の続きの解説一覧




シーグラムビルと同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「シーグラムビル」の関連用語

シーグラムビルのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



シーグラムビルのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのシーグラムビル (改訂履歴)、シーグラム・ビルディング (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS