シーグラムビル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/11/29 06:12 UTC 版)
シーグラム・ビルディング 英:Seagram Building |
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施設情報 | |
所在地 | ![]() ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区パーク街375号 |
状態 | 計画中 |
用途 | オフィス |
地上高 | |
最頂部 | 159.6m |
各種諸元 | |
階数 | 地上38階 |
関連企業 | |
設計 | ルートヴィッヒ・ミース・ファン・デル・ローエ フィリップ・ジョンソン |
シーグラム・ビルディング(英語: Seagram Building)は、ニューヨークのミッドタウン、52丁目と53丁目の間のパーク街375号にある超高層ビル。1958年、シーグラムのアメリカ本社ビルとして、ミース・ファン・デル・ローエ(フィリップ・ジョンソンとの共同)の設計によって建設された。全38階建てで、高さは159.6メートル。アメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されている。
概要
当時のシーグラム社社長サミュエル・ブロンフマンが社屋新築を計画した際、彼の娘でイエール大学で建築学を学んだフィリス・ランバート(自身、その後に現代建築家として実績を収めた)が、現代建築の視点から、当初計画されたビル設計者選定に異を唱えたことが、このビルのできたきっかけである。父に直談判して建築家の選定を委任されたフィリスは、ル・コルビュジエやフランク・ロイド・ライトなど、当時の一流建築家の中で現代的なオフィス・ビル設計者に相応しい人物を多々検討した結果、ミース・ファン・デル・ローエこそが最適任者であると判断し、ミースもこれを受諾して、企画が実現した。
完成後、SOMによって設計されたレバーハウス(1952年)などとともに、モダニズム建築、インターナショナルスタイルの代表的な作品として知られている。パークアヴェニューに面した敷地の大半を占める広場(プラザ)の奥に、シンプルな鉄骨とガラスで出来た箱型の塔がすっくりと建つ姿は、大きなインパクトを与えた。
このシーグラムビルの広場の印象が強かったためか、1961年にはニューヨークの地域指定条例が改正され、それまでのゾーン規制(ゾーニングとも。建物に斜線制限がかけられ、エンパイアステートビルディングのように敷地全体に建ち高くなるほどセットバックした独特の形状の摩天楼を生み出していた)から容積規制へと建築規制が変更された。
このシーグラムビルは、インターナショナルスタイルの超高層ビルの完成形を作ってしまったと言われることもある。また、後にシーグラムビルの安直な真似をした超高層ビルが増え、その結果単純な箱型デザインのビルばかりが建てられてしまうことになった[1]と言われることもある。
建築
オフィスの内部空間は仕切りのないフロアが続いており、用途に合わせ自由に仕切れるよう意図されていた。外観はガラス窓とブロンズの枠が繰り返されるデザインだった。
このビルや、インターナショナルスタイルという様式はアメリカの建築に大きな影響を与えた。この様式の特色のひとつは、建物の構造を外に出して表現することだった。ミースは骨組みなど構造材は外部から見えたほうがいいと考えた。シーグラムビルをはじめ当時の大型ビルは鋼鉄のフレームで建てられ、ガラスウォールがそこからぶら下がっていた。ミースはこの鋼鉄のフレームをむき出しにしたいと考えたが、アメリカの建築規則では溶解する温度の低い鉄の構造材は火災に備えて防火性の材質で覆うよう定めており、多くの建物ではコンクリートで鉄の柱や梁を覆っていた。ミースは構造材が全く見えなくなることだけは避けようとし、本当の構造を隠す代わりに I 形鋼(I-beam)の形のブロンズ材を表面に配して内部から鉄筋コンクリートシェルで支え、ビルの構造を示唆させるようにした。このブロンズ材は表面のガラスの間を仕切り材のようにたくさん水平に走っており、外からでもよく見ることができる。結果、320万ポンド(1,450トン)ものブロンズが建設に使われた。
シーグラムビル完成までの費用は大きく、当時最も高価な摩天楼となった。これは最高の品質の材料と、ブロンズ・大理石・石灰華(トラバーチン)など高い内装材を使用したことによる。
その他、ビルのデザインで興味深いものは窓のブラインドである。ミースはビルの外観に完璧な規則正しさを求めたが、窓ごとのブラインドや電気がバラバラになっていることにも我慢できなかった。彼は全館の電気を一斉に明滅させるスイッチをつけることを考えたがこれは断念している。またビルの各部屋の利用者がそれぞれの事情でブラインドを色々な高さに上げ下ろしすることも避けられないことだったが、まとまりのなさを少しでも避けるためにミースはビルに取り付けるブラインドを、三段階(全開、半開き、完全に下りた状態)しか調節できないものにした。
公開空地
パークアヴェニューを挟んで建つシーグラムビルとレバーハウスは、その後数十年のニューヨークの摩天楼の様式を決定付けた。シンプルなガラスの箱状の建物であること、そして通りから大きくセットバックし、通り側に大きなプラザを設けたことである。ミースは、ゾーニングによる通り上空の斜線規制から逃れて箱状の建物にするため、ビルを通りから遠ざけて敷地のほとんどを広場にした。彼はこの空間に大きな水面を設けた。ここを集いの場とする意図は当初なかったが、集いの場となるよう建設され、結果的に非常に人気のある空間となった。1961年、ニューヨーク市は全米初の包括的なビル条例(building code)を制定したが、ビルの開発者に対してシーグラムビルに倣った「公開空地(公共に開かれた私有空間)」を設けるようインセンティブを与えた。
ロスコのレストラン
ビルの中には、ミースとジョンソンがデザインした「フォーシーズンズレストラン」(The Four Seasons Restaurant)が入居している。このインテリアは1959年の開店以来そのままに維持されている。画家マーク・ロスコはこのレストランの壁面にかける連作を描くよう1958年に依頼された。しかし彼は途中でこのプロジェクトから離脱し、前払いされた金を返して描いた絵は手許から離さなかった。彼はこの連作を、他の作品を混ぜず一ヶ所にそろえて展示するよう望んでいたが、40枚ほどあった連作はばらばらになり、現在では世界の三ヶ所に分かれている。(ワシントンD.C.のナショナル・ギャラリー、ロンドンのテート・モダンのロスコルーム、日本・千葉県の川村記念美術館のロスコルーム)
参考文献
- ポール ゴールドバーガー (著), 渡辺 武信 (翻訳)『摩天楼―アメリカの夢の尖塔』(鹿島出版会 1988年) ISBN-10: 4306042405
脚注
- ^ ポール ゴールドバーガー『摩天楼―アメリカの夢の尖塔』P218-220
外部リンク
- www.375parkavenue.com 公式サイト
- Seagram Building at Great Buildings Online
- 足下の明るさ──モニュメントの歴史、パブリックアートの経験 東辻賢治郎
シーグラムビルと同じ種類の言葉
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