シリル・アビディ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 05:05 UTC 版)
基本情報 | |
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本名 | シリル・アビディ |
通称 |
マルセイユの悪童 フランスのケンカ野郎 |
階級 | スーパーヘビー級(K-1) |
身長 | 190cm |
体重 | 107.7kg |
国籍 | フランス |
誕生日 | 1976年2月25日(48歳) |
出身地 | ブーシュ=デュ=ローヌ県マルセイユ |
スタイル | キックボクシング |
概要
6歳の時にストリートファイトをやめさせるため母親がアビディに柔道を始めさせる。10歳の時にブルース・リーを見て空手に転向。18歳でムエタイに転向した。
1999年6月5日、スイスで開催されたK-1 FIGHT NIGHT '99でK-1デビューし、ピーター・マエストロビッチに判定勝ち。
1999年7月18日、日本デビューとなったK-1 DREAM '99のGP予選トーナメントに出場。1回戦でカークウッド・ウォーカーに右ローキックでKO勝ちするも、準決勝でステファン・レコに判定負け。
1999年7月18日、K-1 SPIRITS 2000でピーター・アーツにTKO勝ち。
1999年8月20日、K-1 WORLD GP 2000 in YOKOHAMAで開催されたGP予選トーナメントの1回戦でピーター・アーツと対戦し再びTKOで下す。この2度のピーター・アーツへの勝利で一気に人気がブレイク。
2000年12月10日、K-1 WORLD GP 2000 決勝戦のGP準々決勝でピーター・アーツと3度目の対戦。両者一歩も引かない喧嘩ファイトを繰り広げるが判定負けを喫した。しかし、ピーター・アーツがアビディ戦で負った眉間の傷が深かったためドクターストップがかかり棄権。アビディが準決勝へ進出してレイ・セフォーと対戦するもKO負けを喫した。
2001年7月20日、K-1 WORLD GP 2001 in NAGOYAで開催されたGP予選トーナメントの1回戦でアンドリュー・トムソンにTKO負け。
2002年9月22日、K-1 ANDY SPIRITS 2002でボブ・サップと対戦。サップの暴走ラッシュに何もできないままKO負け。
2002年12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2002で総合格闘家のクイントン・ジャクソンとK-1ルールで対戦し、判定負け。
2003年1月29日、リュック・ベッソン製作・脚本のTAXi3に、犬を散歩させる警官役でカメオ出演した。
2003年6月14日、K-1 WORLD GP 2003 in PARISで開催されたヨーロッパ・ロシア地域予選に出場。アジス・カトゥー、ハリッド"ディ・ファウスト"に勝利するも、決勝でアレクセイ・イグナショフに敗れた。大会終了後のセレモニーの最中に、以前から雑誌のインタビュー上で互いを批判するなど険悪な状態が続いていたジェロム・レ・バンナに襲いかかり、バンナが背後によけたため命中しなかったが、パンチとキックを繰り出すという騒ぎを起こした[1]。
2003年10月11日、K-1 WORLD GP 2003 開幕戦のGP1回戦にて、K-1初参戦のボクシング元IBF世界ヘビー級王者フランソワ・ボタと対戦するも、マットに倒れたアビディにボタがレフェリーの制止もきかず反則行為のパンチを打ち込み、わずか試合開始19秒でボタの失格負けとなった[2]。12月6日、K-1 WORLD GP 2003 決勝戦のGP準々決勝にて、金銭面の問題と体調不良を理由に欠場したステファン・レコの代役として出場か決まったフランソワ・ボタと再戦し[3]、3Rに右ハイキックでダウンを奪って判定勝ち。準決勝でレミー・ボンヤスキーの跳び膝蹴りでKO負けを喫した[4]。
2004年9月25日、K-1 WORLD GP 2004 in TOKYO 開幕戦のGP1回戦で武蔵と対戦し、判定負け。
2004年12月4日、K-1 WORLD GP 2004 決勝戦のリザーブファイトでゲーリー・グッドリッジにKO負け。
2004年12月31日、K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!では総合格闘技ルールでボビー・オロゴンと対戦し、0-3の判定負け。当初ボビーの対戦予定であったマイク・ベルナルドが練習中の首の負傷により欠場し、急遽代理出場となった[5]。
2005年5月27日、K-1 WORLD GP 2005 IN PARISでジェロム・レ・バンナと初対戦。5Rに右フックでふらついて倒れるとレフェリーが試合を止めTKO負け。しかしアビディはこの試合の1週間前にバイクで転倒事故を起こし、致命傷には至らなかったものの首と左足に怪我を負っており、そのため9月に、欠けた骨の破片くずを取り除く手術を受けた。
2006年3月5日、ニュージーランド大会のオセアニア GP予選トーナメント 1回戦で堀啓と再戦。2004年3月27日にはアビディがKO勝利しているため、堀のリベンジマッチでもあった。しかし、試合が始まって間もなく、アビディが転倒した際、バイク事故で痛めていた左の足首をひねってしまう。それ以降は、根性で耐えながら闘っていたが、3R開始直前にセコンドからタオルが投入されTKO負け。
2007年3月4日、K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMAで野田貢と対戦。2Rにスタンディングダウンを奪われ、判定負け。これ以降試合を行っておらずこの試合が事実上の引退試合となった。
K-1時代の終盤にはAbidi SARLというベーカリー工房の会社を経営していたが、その後はフィットネスジム「Le Gym Plan de campagne」とレストランを経営している[6]。
ファイトスタイル
- 真っ向勝負の喧嘩スタイルであり、ディフェンス面の甘さが見られる。
- ボブ・サップ戦など相手の猛攻に臆し対戦相手に背中を向けながらダウンしたり、心の弱さを露呈することもあり、気性の波が激しい。
- ^ K-1 WGP 6.14 パリ:バンナ復帰戦。地域予選は白熱の内容にバウトレビュー 2003年6月14日
- ^ K-1 10.11 大阪:サップ&ボタ、相次ぐ反則。ベスト8に新世代揃うバウトレビュー 2003年10月11日
- ^ K-1 レコ欠場。ボタとアビディが再戦バウトレビュー 2003年11月26日
- ^ K-1 12.6 東京ドーム:空飛ぶ新帝王誕生。ボンヤスキー初出場初制覇バウトレビュー 2003年12月6日
- ^ 秋山×ボタ決定。ボビーの相手変更 2019年12月25日
- ^ シリル・アビディの現在は?パン屋になった真相を本人に聞いてみたKUZNEWS 2018年7月9日
- 1 シリル・アビディとは
- 2 シリル・アビディの概要
- 3 戦績
- 4 獲得タイトル
固有名詞の分類
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