サンクト・アントン・アム・アールベルク サンクト・アントン・アム・アールベルクの概要

サンクト・アントン・アム・アールベルク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/23 06:15 UTC 版)

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なお、標準ドイツ語では通常は「ザンクト・アントン・アム・アールベルク」と表記し、舞台ドイツ語では「ザンクト・アントン・アム・アルルベルク」と表記されることもある。

アールベルク峠

概要

チロル州とフォアアールベルク州の境目にあるアールベルク峠で最も観光客の宿泊数が多い村であり、国際的には「アルペンスキー発祥の地」として知られている。サンクト・アントンは標高1304mにあり、人口が約2600人と小さな村だが、10000以上のベッド数を誇り、毎年110万泊以上の観光客宿泊数を記録するオーストリアを代表するリゾート地である。

住民は、隣接するフォアアールベルク州同様にアレマン語最高地アレマン語ドイツ語版を言語とするアレマン人が多い。

また、1960年代後半から70年代前半にかけてアルペンスキー界で圧倒的な実力を誇り、1972年札幌オリンピックでの金メダル最有力候補とされながら、「スキー製造会社と専属契約を結び、そこから収入をも得ているようなプロ選手は、このアマチュア選手向けの大会に出場することは許可できない」という理由からオリンピック委員会に大会直前に出場権を剥奪され、オーストリアに帰国しなくてはならなかった伝説的なスキー選手カール・シュランツと、アルペンスキーのパイオニアであり、1930年代から数回来日し、日本でも「スキー術」(当時)を教えたハンネス・シュナイダーの生まれ故郷でもある。

ハンネス・シュナイダーが1930年代から数回に渡り日本の長野県野沢温泉村で「スキー術」の講習会やデモンストレーションなどを行ったことなどから、野沢温泉村はサンクト・アントンの姉妹都市になり、今日でも毎年のように様々な形での交流が行われている。

地勢

サンクト・アントンはチロル州の州都インスブルックより西に約100km、スイスチューリッヒから東へ約250kmのところにあり、車や鉄道での所要時間はインスブルックからは約1時間、チューリッヒからは約2時間30分である。サンクト・アントンはアールベルク峠の中心的な役割を担っている村であり、面積は165 km²とリヒテンシュタイン公国の面積を上回る。最も有名な山はガンペン山(1805m)、ガルツィック山(1905m)とヴァルーガ山(2811m)であり、共にケーブルカーやゴンドラを利用して登ることが出来る。

地名

サンクト・アントンの地の正式地名は1200年代以降、「ヴァッリス・タベルナ」、「シュタンツァータール」、「サンクト・ヤコブ」、「ナッサーライン」と既に5度変更されてきたが、1800年代後半に現在はオーストリア国鉄の一部である「アールベルクバーン」が開通した際に完成した駅が「サンクト・アントン・アム・アールベルク」であったことから、駅の完成後にこの駅にちなんで村の正式地名も「サンクト・アントン・アム・アールベルク」になった。

ちなみにオーストリア政府観光局やオーストリア大使館等では「アールベルク峠にある」という意味を持つ「アム・アールベルク」(am Arlberg)は略され、「サンクト・アントン」、もしくは「サンクトアントン」と紹介されている。






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