サミュエル・テイラー・コールリッジ 生涯

サミュエル・テイラー・コールリッジ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 04:14 UTC 版)

生涯

生い立ち

イングランド南西部デヴォンシャー州オタリー・セント・メアリーに、教区牧師の父の13人兄弟の末子として生まれた。幼い頃から読書に親しみ、6歳の時から父が校長を務めるグラマースクールに通い、神童と呼ばれる。9歳の時に父が死去し、ロンドンのクライスツ・ホスピタルに入学、チャールズ・ラムと知り合い生涯の友となる。また在校時に新プラトン派などの哲学書に親んだ。

1791年に奨学金を受けてケンブリッジ大学ジーザス・カレッジに入学、ジョゼフ・プリーストリーなどの著作からユニテリアニズムに近づいた。借金と失恋のために、ロンドンに出て竜騎兵連隊に志願して入隊するが、ラテン語の落書きが元で除隊して4ヶ月後には大学に戻った。

サスケハナ計画、『抒情民謡集』

アメリカ移住した晩年のプリーストリー

1793年に『モーニング・クロニクル』誌に初めて詩が掲載される。1794年にウェールズに旅行し、途中立ち寄ったオックスフォードロバート・サウジートマス・プールらと知り合い親しくなった。この頃はフランス革命に共鳴し、サウジーらとともにアメリカ大陸サスケハナでの理想の平等社会「万民同権共同体(パンティソクラシー)」の建設を計画していた。既にアメリカに移住していたジョゼフ・プリーストリーから土地の斡旋を受けて、1795年に出航する予定だったが、資金不足で断念し、また考えの違いからサウジーとも別れる。資金集めの際に寄留したブリストルのフリッカー家の娘姉妹の一人、セアラ・フリッカーと婚約。フリッカーの娘姉妹とは仲間のうちコールリッジやサウジーら三名が結婚することになる。また、政治、宗教の面で急進的な思想を抱き、素行問題から大学を退学となった。

1795年にセアラと結婚し、ブリストル近くのクリーヴドンに新居を構えた。結婚後、妻のセアラなどに語りかける形式の「会話詩」を創作するが、やがて収入不足に陥り、政治宗教の週刊誌『見張り人』(The Watchman)を発行するも、読者が付かず10号で廃刊し、家庭教師やドイツ文学の翻訳などで生計を立てる。1797年に、トマス・プールを頼って住んでいたネザー・ストーウェイの住居をワーズワース兄妹が訪れ、意気投合して合作詩集を作ることになり、『老水夫行』を巻頭に1798年『抒情民謡集』(Lyrical Ballads)を刊行し、イギリス・ロマン主義の詩人として名声を得る。

1798年にウェッジウッド兄弟から研究助成金の申し出を受け、ワーズワースとともにドイツ留学に発つ。翌年からゲッティンゲンの大学に籍を置き、7月に帰国。1800年に『クリスタベル姫第2部』を書き上げたが、ワーズワースから『抒情民謡集』第2版への掲載を拒否され、詩作への意欲が減退。また、持病のリウマチ熱の痛み止めのために使っていた阿片への依存が増し始める。

マルタ島からハイゲイト時代

やがて阿片の中毒症状が出始め、転地療養のため1804年から1年半、マルタ島の総督書記の職を得て、一時は健康を取り戻すが再度悪化し、イタリアを渡り歩いた末に1806年にロンドンに戻る。残して来た妻との関係も悪化し、所持金も使い果たし、1808年には王立協会から詩の理論についての連続講演を依頼されるが、体調のために半年で打切りとなる。知人に頼った生活の後、1811年からシェークスピアについて17回の講演、1812年に演劇論の講演、翌年にかけて12回の「文学芸術論」講演を行い、続いて自身の演劇論を具体化した「悔恨(Remorse, a Tragedy in Five Acts)」をDruly Lane劇場で上演し、連続28日の当たりをとった。

阿片中毒が進行する中、友人のジェイムズ・ギルマン医師の家で介護されながら、1816年に『クリスタベル、クーブラ・カーン(幻想)、眠りの苦痛(Christabel, Kubla Khan: a Vision, The Pains of Sleep)』の三編を刊行、及び社会・文化評論『政治家の聖典』、1817年に詩集『シビルの詩編』及び『文学的自伝』を出版、また講演活動も継続する。1823年にギルマン一家とともにハイゲイトに引っ越し「ハイゲイトの賢者」と呼ばれ、友人や妻娘の他に多くの名士達もここに訪れた。1828年に全集(全3巻)を刊行。1834年に没し、ハイゲイト墓地に埋葬された。


  1. ^ a b 大和資雄「解説」(『コウルリヂ詩選』岩波文庫 1955年)
  2. ^ 上島建吉編『対訳 コウルリッジ詩集』
  3. ^ 坂崎乙郎『ロマン派芸術の世界』講談社 1976年
  4. ^ 「コウルリッジの夢」J.L.・ボルヘス『続審問』中村健二訳 岩波書店 2009年
  5. ^ 東雅夫編『ゴシック名訳集成 吸血妖鬼譚』学習研究社 2008年
  6. ^ 高山宏巽孝之『マニエリスム談義 驚異の大陸をめぐる超英米文学史』彩流社 2018年
  7. ^ 由良君美『世界のオカルト文学 幻想文学・総解説'84』自由国民社 1983年
  8. ^ 研究者、ジェイムズ・ギルマン『コウルリッジの生涯』(共訳、こびあん書房、1992年)など著訳書がある。






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