サクラローレル エピソード

サクラローレル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/08 00:48 UTC 版)

エピソード

サクラローレルの容姿

谷川直子は「今、サクラローレルほど美しい馬はいない」とサクラローレルの容姿について絶賛している[85]。一方、大川慶次郎は「競走馬というより、馬車でも引いていた方が似合うような体つき。長い間、馬を見てきたけれど、ああいうタイプがあそこまで強いっていうのは考えられない」[86]と述べている。

境勝太郎の心残り

1995年の金杯でのサクラローレルの強さに驚いた井崎脩五郎は、後年、調教師を引退した境に「あの金杯を勝ったとき、海外遠征しようと思われませんでしたか。僕は、あの金杯の強さなら、今すぐどこへ行っても通用すると思ったんですが」と質問した。すると境は「そりゃあ行きたかったさ。本当に行きたかった。外国でも十分に通用すると思った。でも、重賞といってもGIIIを初めて勝ったばかりの馬に、海外遠征なんていう話を持ち出したら、周りから笑われるんじゃないかと思って、言い出せなかった。あの時行っていれば、外国で大きいところを勝てたかもしれないのに、馬には悪いことをしてしまった。調教師生活でいちばんの心残りだよ」と答えた。井崎は「あの平成7年(1995年)、もしサクラローレルがヨーロッパに遠征していたら、ラムタラ一色だったレースシーンをぶち破り、ラムタラを破った唯一の馬として名を残していた可能性もあったのではないかと、惜しく思う気持ちを抑えることができない。金杯のサクラローレルは、それくらい強い馬だったと思うのだ」[87]と記している。

名伯楽の集大成

1997年2月に定年を控えていた境は、実質最終年となる1996年を自身の調教師人生の集大成として、年間重賞10勝という大きな目標を掲げた。この年の境厩舎は、サクラキャンドル、サクラローレル、サクラエイコウオーという古馬の実績馬に加え、サクラケイザンオー、サクラスピードオー、サクラシンオー、マウンテンストーンといった4歳の素質馬が揃っており、1月から順調に重賞勝利を重ねていき、10月の天皇賞(秋)を迎えるまでに、すでに重賞8勝を挙げていた。天皇賞(秋)に出走するサクラローレルは、タマモクロス以来2頭目となる天皇賞春秋連覇の偉業がかかっており、馬体も生涯最高といえるデキで、境は「自分が乗りたいくらいだ。何も言うことはない。これで負けたら乗り役が悪い」と絶対の自信を見せ、勝利を確信していた[88]。しかし、その唯一の不安が的中する形となり、境は32年間の調教師生活で初めて他厩舎所属の騎手を激しく叱った[89]。結局、この年の重賞勝利は9勝で、目標の10勝には惜しくも届かなかった。

三強と呼ばれて

1996年秋からサクラローレル、マヤノトップガン、マーベラスサンデーは『古馬三強』と呼ばれるようになる。しかし、実績面からも三強と括られることに、良太は不満を感じていた。そのことが新聞などを通じてマーベラスサンデーの古川代津雄厩務員に伝わり、古川も良太を挑発するような言動に出た。二人の舌戦も話題となり、関係は険悪になっていった[90]。しかし、1997年天皇賞(春)のレース後の尿検査場で顔を合わせた際、古川が「勝った馬は展開の利があって勝ったけれど、アンちゃんの馬は化け物や」と良太に声を掛けたことがキッカケで、二人はお互いを分かり合える関係となった[91]。マヤノトップガンの厩務員からも「君の馬がNo.1だよ。外国に行くんだろ?応援してるからな」と声を掛けられ、良太はその二人に言ってもらえた言葉が印象的で今も忘れられない[46]、と語っている。

幻となったドバイ遠征プラン

有馬記念の勝利後、すぐに陣営は翌年の海外遠征のローテーションの検討に入った。そのひとつのプランに、ドバイワールドカップへの参戦があった。すでにホクトベガが日本代表馬として選出されていたが、日本の年度代表馬であるサクラローレルが本気で出走意思を表明すれば、主催者がレギュレーションを変更してでも、サクラローレルの出走が認められる可能性が高いと陣営は考えていた。最終的には、サクラローレルの体調面などを考慮し、ドバイワールドカップは目標から外された[92]

海外挑戦での乗り替わり

凱旋門賞挑戦においての騎手の乗り替わりは、天皇賞(春)での横山の騎乗ミスが問題ではなく、横山の海外での騎乗経験が皆無に等しいことが理由だった[93]。小島は若い頃からフランスに遠征して騎乗しており、その影響で全もフランスの競馬にハマっていった。しかし、小島が選んでさくらコマースが購入したサクラレイコが、フランスの夏の3歳最強馬決定戦である1986年のモルニ賞(GⅠ)に出走した際、小島は騎乗させてもらうことができなかった(サクラレイコはモルニ賞を優勝)[94]。そういった海外で味わってきた数々の悔しい経験などから、小島は、現地のタフなコースと厳しいレースを熟知した騎手でないと、凱旋門賞を本気で勝ちに行くことはできないと考えていた。当初は、小島と親交の深いフレディ・ヘッドに騎乗を依頼する予定だったが、フレディ・ヘッドが電撃引退したことにより白紙となった[64]。そこで、海外での騎乗経験が豊富で、ロンシャンでもGⅠを勝っている武に白羽の矢が立った。

横山と良太の関係

横山と良太は幼馴染であり、大の親友だった。そのため、良太はサクラローレルと横山のコンビに強い拘りを持っており、サクラローレルのフォア賞と凱旋門賞での鞍上が横山でないことに不満を持っていた。そのことを心配した横山は、ドーヴィル日仏騎手対抗に出場した後、帰国を遅らせ、サクラローレルが滞在するシャンティイの馬房を訪れ、横山の前で良太と武に握手をさせた。横山は馬房の横に吊るされていたカレンダーにこっそり「良太とローレル頑張れ!」と書き置きし、シャンティイを後にしている[95]

フォア賞での故障の原因

サクラローレルのフォア賞でのレース中の故障の原因について、「日本から装蹄師を連れて行かず、現地の装蹄師が削蹄したことによる削蹄の失敗」が言われているが、良太はそれを否定し、「ロンシャンの馬場がいつもと比べ、硬すぎて、足を挫きやすい危険な馬場だったこと」を挙げている。97年秋のロンシャンは、例年に比べて極端に雨が少なく、かなり硬い馬場になっていた。フォア賞を制したヨコハマもレース後かなり跛行していた[96]

引退式後

引退式が終わり、サクラローレルが北海道に戻る馬運車の出発までには1時間ほどあったが、良太はサクラローレルとの別れが悲しく、馬運車が来る前に馬房を去った。ちょうど有馬記念出走で中山に来ていたマーベラスサンデーの古川代津雄厩務員が、良太の気持ちを察して、代わりにサクラローレルを見送った[97]


サクラローレル血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ブラッシンググルーム系
[§ 2]

Rainbow Quest
1981 鹿毛
父の父
Blushing Groom
1974 栗毛
Red God Nasrullah
Spring Run
Runaway Bride Wild Risk
Aimee
父の母
I Will Follow
1975 鹿毛
Herbager Vandale
Flagette
Where You Lead Raise a Native
Noblesse

*ローラローラ
Lola Lola
1985 栗毛
Saint Cyrien
1980 鹿毛
Luthier Klairon
Flute Enchantee
Sevres Riverman
Sartoga
母の母
Bold Lady
1974 栗毛
*ボールドラッド
Bold Lad
Bold Ruler
Misty Morn
Tredam High Treason
Damasi
母系(F-No.) (FN:14) [§ 3]
5代内の近親交配 Nasrullah 4×5 [§ 4]
出典
  1. ^ [98]
  2. ^ [99]
  3. ^ [99]
  4. ^ [98]

注釈

  1. ^ サクラローレルが天皇賞(春)を勝利したり、凱旋門賞を目指す頃には、既に死去している。天皇賞(春)の優勝盾は、息子の全尚烈が受け取っていた。[9]
  2. ^ 例えば、後ろ脚をニワトリのように持ち上げて歩く「鳥足」であった。
  3. ^ 折り返しの新馬戦と呼ばれる。
  4. ^ 3月6日の500万円以下はオリビエ・ペリエ、9月25日のセントライト記念GII)は的場均が騎乗している。
  5. ^ 小原伊佐美(1988年春秋:タマモクロス)、伊藤修司(1989年秋1990年春:スーパークリーク
  6. ^ ほか、複勝式13億6611万9800円、枠番連勝式118億3273万8200円、馬番連勝式718億3784万4400円。計875億104万2400円。

出典

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