ゴー・チョクトン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 22:34 UTC 版)
概略
身長は190cmと、シンガポール人としては高身長であるため、「驚異の長身」と呼ばれている。1976年に政界入りし、政府系海運企業を黒字転換させた功績などが認められ、前任のリー・クアンユーの信頼を勝ち得て首相に就任。内閣は「ゴーチーム」といわれた。リーの息子リー・シェンロンへの「中継ぎ」とも「リーのクローン」ともいわれ、リーの政策を踏襲した。そのためゴー政権は短命に終わると考えられたが、14年に及ぶ長期政権となったのはシンガポールの政治関係者の間では意外なことであった。
2015年9月リー初代首相の死去後初の総選挙に出馬、10期目の当選を果たした。
幾度も訪日しているが、日本の首相の靖国神社参拝に反対しており、「多くの人々は、第二次世界大戦で受けた被害と日本の侵略行為を忘れてはいない。従ってその他の国の人々にとって、A級戦犯を祀ってある靖国神社への小泉純一郎の参拝は依然として象徴的意味を持っている」と指摘した。
経歴
- 1964年 - シンガポール大学卒業
- 1967年 - ウィリアムズ大学大学院修士課程修了
- 1976年 - 国会議員に初当選
- 1984年12月 - 第一副首相(国防大臣兼務)
- 1990年11月 - 首相就任(国防大臣兼務)
- 1992年 - 人民行動党書記長に就任
- 2004年8月 - 上級相、兼金融管理庁 (MAS) 長官に就任
- 2011年5月14日 - 上級相から退く意向を表明[2]
- 2011年6月、旭日大綬章を受章[3][4]。
外部リンク
公職 | ||
---|---|---|
先代 ? |
シンガポール上級財務大臣 1977年 - 1979年 |
次代 S. ダナバラン |
先代 新設 |
シンガポール貿易産業大臣 1979年 - 1981年? |
次代 ? |
先代 トー・チン・チャイ |
シンガポール保健大臣 1981年 - 1982年? |
次代 ハウ・ヨン・チュン |
先代 ハウ・ヨン・チュン |
シンガポール国防大臣 1982年 - 1991年 |
次代 ヨー・ニン・ホン |
先代 ゴー・ケンシー |
シンガポール副首相 1985年 – 1990年 |
次代 リー・シェンロン |
先代 リー・クアンユー |
シンガポール首相 1990年11月28日 – 2004年8月12日 | |
シンガポール上級相 2004年8月12日 – 2011年 |
廃止 | |
シンガポール国会 | ||
新設 | 国会議員 マリン・パレード 1976年 - 1988年 |
選挙区廃止 |
国会議員 マリン・パレード・グループ選挙区 1988年 – 現在 |
現職 | |
党職 | ||
先代 リー・クアンユー |
人民行動党書記長 1992年 - 2004年 |
次代 リー・シェンロン |
- ^ Asiaweek, Volume 20, Publisher Asiaweek Ltd., 1994, p. 20, ...few non-communist leaders have admitted to not believing in Goh, though Goh Chok Thong came close.
- ^ “シンガポール、リー・クアンユー顧問相が辞任へ”. 読売新聞. (2011年5月14日). オリジナルの2011年5月18日時点におけるアーカイブ。 2011年5月14日閲覧。
- ^ 大綬章受章者
- ^ “春の叙勲 九州から431人受章”. 西日本新聞 (2011年6月18日). 2011年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月11日閲覧。
固有名詞の分類
シンガポールの政治家 |
ユソフ・ビン・イサーク リー・クアンユー S・R・ナザン ゴー・チョク・トン リー・シェンロン |
シンガポールの首相 |
S.Rajaratnam ゴー・チョク・トン リー・シェンロン |
- ゴー・チョクトンのページへのリンク