ゴマ (コンゴ民主共和国)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/28 16:25 UTC 版)
ルワンダ紛争
ルワンダ紛争に伴いフツ系政権はギセニに暫定政府を置いた。1994年7月、ルワンダ愛国戦線が全土を制圧すると、7月13日から14日の間に毎時1万から1万2千人の難民がゴマにも押し寄せ、大湖地方の難民危機 (Great Lakes refugee crisis) の現場の1つとなった。避難所、水、食料が不足する人道危機となってコレラも蔓延した。国際連合難民高等弁務官事務所がこれに対応し、ゴマには自衛隊も派遣された(自衛隊ルワンダ難民救援派遣#難民救援隊の活動)[1]。
第一次コンゴ戦争
ルワンダ難民はフツ系が多く、それ以前からのツチ系難民やバニャムレンゲと呼ばれるコンゴ在住のツチ系と対立した。旧政権関係者はルワンダ解放軍 (ALiR) として反ルワンダ政府活動を続けた。1997年モブツ・セセ・セコはバニャムレンゲの蜂起によりウガンダ及びルワンダの支援するコンゴ・ザイール解放民主勢力連合 (ADFL) により追放された。
第二次コンゴ戦争
ADFLを率いたローラン・カビラが大統領に就任すると、バニャムレンゲの排除を始め、1998年バニャムレンゲはコンゴ民主連合 (RCD) を結成して再度蜂起した。コンゴ民主連合は分裂しルワンダの支援する勢力はゴマ派を形成した。ルワンダ勢は東部一帯を支配下に置いて、金、ダイヤモンド、コルタンなどを略奪した。
旧ルワンダ軍勢力はルワンダ解放民主軍 (FDLR) としてこれに対抗した。
キヴ紛争
2003年に和平合意が成立したが、コンゴ民主連合などの反政府勢力はFDLRの討伐などを名目として活動を続けた[2]。
2007年9月ルツルを拠点とするローラン・ンクンダ率いる人民防衛国民会議(CNDP) の8千強の軍勢がゴマ北西の町マシシを襲った[2]。国際連合コンゴ民主共和国安定化ミッションのヘリが政府軍兵士をゴマ国際空港を経由してマシシに輸送した[2]。
2008年10月27日、ローラン・ンクンダの率いる人民防衛国民会議 (CNDP) の軍勢がゴマに迫り、20万人の住民が避難した[3]。
3月23日運動(M23)による占拠
2012年11月20日から同月30日にかけて、ルワンダとウガンダの支援を受けた反体制武装勢力3月23日運動(略称M23)が市内を占拠[4]、略奪が生じた。
- ^ “ルワンダ国際平和協力業務”. 内閣府国際平和協力事業本部. 2008年12月7日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2008年11月28日閲覧。
- ^ a b c "Fear of fresh conflict in Congo as renegade general turns guns on government forces." Chris McGreal, The Guardian, Monday September 3, 2007. Retrieved 3 September 2007.
- ^ “U.N. says recent Congo fighting uproots 200,000”. CNN. (2008年10月27日) 2008年10月28日閲覧。
- ^ “コンゴ民主共和国:反政府勢力「隣国国防相が指揮」国連報告書指摘”. 毎日新聞 (毎日新聞). (2012年11月23日) 2012年11月23日閲覧。[リンク切れ]
- ^ Nyiragongo, Global Volcanism Program, スミソニアン研究所
- ^ 「ニーラゴンゴ山の火山噴火」国際災害チャータ
- ^ "Cooperative Observations at Nyiragongo Volcano in D.R. of Congo". Earthquake Research Institute, University of Tokyo. Retrieved 3 September 2007.
- ^ "Killer Lakes". BBC Two, Thursday 4 April 2002. Summarised at www.bbc.co.uk.
- ^ “Goma Climate and Weather Averages, Congo-Kinshasa”. Weather2Travel. 2013年11月4日閲覧。
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