キンカン素人民謡名人戦 概要

キンカン素人民謡名人戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/09 14:09 UTC 版)

概要

出場者たちが民謡を披露していた視聴者参加型の歌合戦番組。

番組開始のきっかけは金冠堂の創業者・山﨑榮二が民謡好きであったことによるもので、山﨑はスタジオの観客席中央に必ず座っていた。1988年5月に山﨑が死去した後、山﨑の長男で金冠堂2代目社長(当時)の山﨑寅(すすむ)が替わって番組終了まで観客席に座っていた。

当初は当時東京タワーにあったサテライトスタジオからの公開生放送であったが、新宿区河田町にあったフジテレビ本社・放送センターからの録画放送(撮って出し)となった。フジテレビスタジオになってからも生放送の時もあり、ニュースが入った時には、ニュースを司会の鈴木ヤスシが原稿を読んで伝えていたこともあった(遠東航空103便墜落事故の第一報)。東京タワー時代は白黒放送であったが、河田町に移ってからはカラー放送となった(そのため、当番組はフジテレビの自主制作番組の中では、最後にカラー化された番組となった)。また、半年に一度の「決勝大会」は日本青年館での公開録画であった。

また、当初は火曜14:00枠で放送されていたが、後に土曜14:00枠での放送になり、さらに土曜午前枠(10:00 → 11:00 → 8:00)を転々とした。もともと平日14時台には、東京タワー内のサテライトスタジオから放送する、クイズを中心にした日替わりバラエティ『タワーバラエティ』(フジテレビが開局した年である1959年から放送)が放送されており、本番組もそのうちの一本であった。1969年4月より全番組を『勝抜きスピードクイズ』に統一して帯形式にすることになり、番組は土曜14:00枠へ移動した。なお『タワーバラエティ』は、その後も1971年4月に『スーパーバラエティ』と改題した上で続けられた。

番組テーマ曲は、キンカンのCMソング「キンカンの唄」(歌:雪村いづみダークダックス / 作詞:藤浦洸 / 作曲:服部正)をアレンジしたもので、歌は入っていなかった。ただし、三和完児が司会を務めていた時代(末期を除く)にはオープニングで歌入りヴァージョンのものが流され、それに合わせて出演者や審査員がお辞儀をする演出があった。1988年3月31日放送の特別番組『フジテレビ30年史』において、当時のフジテレビ最長放送期間番組としてこの番組が取り上げられた際にこのシーンが放送された。

1989年4月、番組は土曜10時台にワイドショー『THE WEEK』がスタートするのを受けて土曜11:00枠へ移動。さらに1992年4月には『THE WEEK』が11時30分にまで拡大することになったために土曜8:00枠へ移動するものの、番組改編期でもない1993年5月に60人目の(番組が設定する)名人位が出たのを機に終了した。このタイトルでの放送期間は32年3か月に及んでおり、1996年に同じく長寿番組である『ミュージックフェア』が塗り替えるまではフジテレビでは最長記録であった。

1993年6月5日からは『キンカン民謡セレクション』と題し、民謡歌手のライブに特化した内容へと移行し1994年10月7日からは金曜16:00枠での放送となったが(ネット局の一部では別の時間帯に放送)、1994年12月16日終了。1995年1月6日に再リニューアルを実施しタイトルも『キンカン民謡ふるさとめぐり』に変更した。[1]そして、1995年9月29日に放送された『キンカン民謡ふるさとめぐり』の最終回をもって、金冠堂提供の民謡番組シリーズは34年7か月間の歴史に幕を下ろした。

神奈川県横浜市にある放送ライブラリーには、第14回日本民間放送連盟賞視聴者参加番組部門優秀銅賞を受賞した1986年4月26日放送分の映像が保存されており[2]、無料で視聴できる。


注釈

  1. ^ 1959年の開局から1986年3月まで使われた亀倉雄策作の「フジテレビ」ロゴで、1986年4月に馬場雄二作の「フジテレビ」ロゴに変更された。
  2. ^ 1993年3月まではフジテレビ系列。同系列からテレビ朝日系列へのネットチェンジに伴い、テレビユー山形へ移行。
  3. ^ 正式にはFNN・ANNに加盟していなかったが、1989年9月まで事実上のクロスネット編成を組んでいた。
  4. ^ 当時フジテレビ系列・TBS系列・NET(テレビ朝日)系列のクロスネット局であったテレビ山口がクロスネット編成をしていたために放送枠を確保できず、引き続き山口放送が放送を継続した。
  5. ^ 番組が始まった頃には、フジテレビ系列のテレビ大分は未開局だった。開局後も、同局は日本テレビ系列を主系列としてフジテレビ系列・テレビ朝日系列それぞれの番組をトリプルネットしていたために放送枠が確保できず、引き続き大分放送での番販ネットが続いた。
  6. ^ 番組が始まった頃には、フジテレビ系列の鹿児島テレビは未開局だった。開局後も、同局は日本テレビ系列を主系列としてフジテレビ系列・テレビ朝日系列それぞれの番組をトリプルネットしていたために放送枠が確保できず、引き続き南日本放送での番販ネットが続いた。フジテレビ系番販ネット枠の廃止によって打ち切り。

出典

  1. ^ 『読売新聞』 1994年12月16日、1995年1月6日テレビ欄
  2. ^ 検索結果 キンカン素人民謡名人戦 - 放送ライブラリ公式ページ”. 放送ライブラリー. 2018年6月7日閲覧。
  3. ^ 北海道新聞』(マイクロフィルム版) 1961年(昭和36年)6月 - 1964年(昭和39年)3月 テレビ欄。
  4. ^ 『北海道新聞』(マイクロフィルム版) 1964年(昭和39年)4月 - 1967年(昭和42年)3月 テレビ欄と『北海道新聞』(縮刷版) 1967年(昭和42年)4月 - 1972年(昭和47年)12月 テレビ欄から。
  5. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1973年(昭和48年)1月 テレビ欄。
  6. ^ 福島民報』1964年11月3日 - 1970年3月28日付朝刊テレビ欄。
  7. ^ 福島民報』1971年10月2日付朝刊テレビ欄。
  8. ^ 『福島民報』1970年4月4日 - 1971年9月25日付朝刊、テレビ欄。
  9. ^ 出典:読売新聞 岡山版・中国新聞、1963年6月20日。テレビ・ラジオ欄。この時点では火曜 14:00 - 14:40 に放送。
  10. ^ 読売新聞 岡山版、1969年10月18日、11ページ、テレビ欄。






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