オペラ・オーストラリア オペラ・オーストラリア:1996年以降

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オペラ・オーストラリア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/22 20:35 UTC 版)

オペラ・オーストラリア:1996年以降

オペラ・オーストラリアは、オーストラリアン・オペラとビクトリア州オペラ・カンパニーとの統合によって1996年に誕生した。これは、メルボルンを本拠地としていたビクトリア州オペラ・カンパニーの経済的破綻の結果、もたらされたものである。[6]エイドリアン・コレットが新しいカンパニーの初代総監督に指名された。そして、3年にわたる計画を提示し[7]1年に2度、シドニーとメルボルンでの公演を行い、オペラ・オーストラリアとビクトリア州オペラ・カンパニーのスタッフを一つにまとめて、引き継いだ負債を含めた実行可能な財政的構造を準備して、カンパニーの再建を図ったのである。[要出典]

最初の数年には、オペラ・オーストラリアの芸術監督を務めたモファット・オクスンボウルドが引退し、シモーネ・ヤングを音楽監督に指名したりするといったことがあった。引退する芸術監督に対して敬意を払い、青年芸術プログラムが改めて「モファット・オクスンボウルド青年芸術家育成プログラム」と名付けられた。その直後、2001年には、シモーネ・ヤングが自分の後任を務める人間としてオーストラリア人の監督スチュアート・モーンダーを芸術監督に指名している。ヤングはカンパニーの中心となる上演曲目を広げることに務め、ドイツのオペラを増やし[8]、公演の制作を多様なものにして、国内外から様々な音楽家を雇用した。しかし2002年の秋から冬にかけて、オペラ・オーストラリアの評議会は、悪化していく赤字について検討した結果、ヤングのカンパニーに関する構想は、もはや「容認できない」として、彼女との契約は2003年末で打ち切ることを発表した[9]

2003年の末に、リチャード・ヒコックスがオペラ・オーストラリアの次の音楽監督に指名された。彼は2005年1月から正式に音楽監督に就任した。彼の在任期間中、ヒコックスは、20世紀の作品、例えば『三つのオレンジへの恋』、『マクロプロス事件』、『ルサルカ』、『アラベラ』といった作品をレパートリーに加え、こうした曲目のライヴ録音をシャンドス・レコーズに残している。カンパニーの50周年記念は2006年に行われ、ガラ・コンサートが開催され、ジョーン・サザーランドとリチャード・ボニングを始め、主要なアーティストたち、コーラス隊、制作スタッフ、そしてオーストラリアン・オペラとバレエ・オーケストラに対して、その芸術性と才能に対して、そしてカンパニー全体に対して賛辞が送られている[10]2008年半ばに、ヒコックスとオペラ・オーストラリアは、ヒコックスがその任に就いて以降、芸術的水準に衰退が見られるのではないかとして非難された。[11]。シドニーの冬期公演を終えて、2008年11月にイギリスに戻るとすぐ、ヒコックスはスウォンジーでのリハーサルを指揮した後、突然の心臓麻痺で亡くなった[12]。2009年6月30日に、リンドン・テラチーニが新しく芸術監督に就任することが発表された[13]

2011年、リンドン・テラチーニは例年のペギー・グランヴィル・アドレスでのスピーチで、議論を呼ぶ発言をした。その中で彼は、オペラ・オーストラリアは生き残るためには変わらなければならない、と語っている。「オペラ・カンパニーとオーケストラという存在が全世界的に憂慮すべき進度でその生命の終わりを迎えている。…我々はその事実を浅はかにも無視するのか…あるいは我々自身が変化することができるはずである、…大胆な演目の選択は、それ故批評家達が非難する理由にもなるだろうが、しかし、本物の聴衆との真の結びつきをもたらすことだろう」[14]

芸術監督は、より幅広い聴衆に訴えるであろう演目を追究した。2012年には神道新宗教ワールドメイト教祖の半田晴久(深見東州)とニュー・サウス・ウェールズ・デスティネーションの財政援助によって、オペラ・オーストラリアは第1回の「シドニー港のほとりのハンダ・オペラ」、すなわち、3週間にわたって行われる、すべてに事前に制作の手が入った「オペラ・イベント」を上演したのである[15]。ラ・トラヴィアータの制作はフランチェスカ・ザンベロが監督し、4万人の聴衆を動員した[16]。2013年には、オペラ・オーストラリアはゲイル・エドワーズの監督により『カルメン』をシドニー港で上演した。こちらも1年前とほぼ同じ規模の聴衆が集まっている[17]

2012年に、オペラ・オーストラリアにとっては初めてのことだったが、ブロードウェイのミュージカルの上演を始めた。数年にわたってカンパニーの定期演目となっていた、ギルバートサリヴァンによる演目と入れ替えたのである。同じ2012年にはリンカーン・センター・シアター制作の『南太平洋』がシドニー・オペラハウスとメルボルンのプリンセス・シアターで非常に多くの聴衆の前で上演され、オーストラリア国内ツアーの幕が切って落とされた。このツアーは翌年まで続いた[18]

幅広い層からの慈善的精神によって後押しされ、カンパニーは初めて、完全版の『ニーベルングの指輪』の公演を決定し、2013年の末に、4週間以上にわたってメルボルンで上演された[19]。この公演のチケットがたった1日で完売した後、オーストラリア放送協会のクラシック局とオペラ・オーストラリアは、ラジオ放送で『ニーベルングの指輪』の生中継を全国放送すると発表した[20]

2013年4月には、オペラ・オーストラリアは全体としての歳入は44%の増収となり、それは大成功した公演が55%以上の収入増となったからだと発表した。カンパニーは、2年続いた赤字の後、今度は2年連続で営業利益の増収を達成することができたのである[21]

2013年1月、オペラ・オーストラリアの評議会は、リンドン・テラチーニとの芸術監督の契約をさらに5年延長すると発表した[22]。その年の後半、テラチーニは、「1年契約の歌手には、賃金の支払いがない休職期間を6週間から12週間の間で、2014年に入ってから取ってもらう」ことを発表した。この例に当てはまる歌手には、ジャクリーン・ダーク、ドミニカ・マシューズ、ワーウィック・ファイフェらがいる[23]


  1. ^ 世界の劇場”. 新国立劇場. 2014年3月16日閲覧。
  2. ^ Hall. S, "Opera Conductor a Humble Wizard in Oz", The Australian. 20 December 2007. Accessed 15 December 2008
  3. ^ Adams, B. La Stupenda. Hutchinson Group. 1980 p. 126 ISBN 0-09-137410-3
  4. ^ Adams. B, La Stupenda, Hutchinson Group. 1980. pp. 235–36 ISBN 0-09-137410-3
  5. ^ Oxenbould. M, Timing Is Everything ABC Books, 2005 p. 419
  6. ^ Gill, Ray (2003年9月7日). “Opera takes diva into the red”. The Age (Melbourne). http://www.theage.com.au/articles/2003/09/06/1062549060286.html 2008年12月1日閲覧。 
  7. ^ Oxenbould, M. Timing is Everything, 2005. p. 650
  8. ^ Oxenbould. M, Timing is Everything, 2005 pp. 706–707
  9. ^ Mattison, Ben (2002年9月13日). “Opera Australia Fires Simone Young”. andante Corp. 2006年10月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年12月1日閲覧。
  10. ^ Opera Australia's 50th Anniversary Gala Programme Note. 2006. p. 3, Hickox.
  11. ^ Roger Maynard (2008年8月16日). “Soprano sounds off about 'disrespectful' Briton in charge of Opera Australia”. The Independent (London). http://www.independent.co.uk/news/world/australasia/soprano-sounds-off-898993.html 2008年11月21日閲覧。 
  12. ^ Ashleigh Wilson (2008年11月24日). “Opera Australia conductor Hickox dies suddenly”. The Australian. http://www.theaustralian.news.com.au/story/0,25197,24699942-2702,00.html 2008年11月25日閲覧。 
  13. ^ "Opera's artistic director Lyndon Terracini found close to home" by Corrie Perkin, The Australian (1 July 2009)
  14. ^ PGH Address. New Music Network. Retrieved on 2013-08-02.
  15. ^ http://www.theaustralian.com.au/arts/opera-goes-to-water-to-attract-masses/story-e6frg8n6-1226062257376
  16. ^ Opera on Sydney Harbour a resounding success. Aussietheatre.com.au (2012-04-18). Retrieved on 2013-08-02.
  17. ^ Carmen Opera Australia. Smh.com.au. Retrieved on 2013-08-02.
  18. ^ http://www.theaustralian.com.au/arts/box-office-takings-a-high-note-for-oa/story-e6frg8n6-1226622958342
  19. ^ Melbourne's multi-million dollar Ring cycle | The National Business Review. Retrieved on 2013-08-02.
  20. ^ ABC Classic FM and Opera Australia announce special event partnership. About the ABC (2013-06-04). Retrieved on 2013-08-02.
  21. ^ Opera Australia posts 44% growth - Classical Music. Limelight Magazine (2013-04-18). Retrieved on 2013-08-02.
  22. ^ Reign of Terracini to last five more years. Limelight Magazine. Retrieved on 2013-08-02.
  23. ^ "OA uproar as singers 'rested' without pay" by Matthew Westwood, The Australian, 4 May 2013 (要購読契約)
  24. ^ a b Opera Australia. "Life Amplified" 2009, p. 51
  25. ^ Oxenbould. M, Timing is Everything, 2005. pp. 700–707. Not all repertoire lists are complete. Check bibliography for full in-text references.
  26. ^ Oxenbould. M, Timing is Everything, 2005. p. 425
  27. ^ "Opera Australia launches own DVD/CD label and TV broadcasts after successful debut at cinemas", Press Release (12 May 2011)
  28. ^ a b "Officially announcing our new Weekly Review Competition", Opera Australia Blog (18 May 2011)
  29. ^ "Introduction to the Opera Basics series", Opera Australia, 31 May 2011. Accessed 5 January 2013


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