ウィル・ロジャース 「私は嫌いな人とまだ会ったことがない」

ウィル・ロジャース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 18:13 UTC 版)

「私は嫌いな人とまだ会ったことがない」

ウィル・ロジャースの最も有名なセリフの一つは「私は嫌いな人とまだ会ったことがない」であり、これはもっと長い発言の一部であり、元々レフ・トロツキーに言及したときのことだった。

私が彼と会ってお喋りができたなら、彼の中に興味有るところと人間のいたわり合う気持ちを見出すことだろうと請け合う。というのも私は嫌いな人とまだ会ったことがないからだ。あなた方が人と会うとき、どんなに先入観を持っていたとしても、彼等に会ってその観点や人間性を見た後では、彼等全ての中に多くの良いことを見出すことができる。[4]Saturday Evening Post, November 6, 1926

死と遺産

1935年、ウィリー・ポストはアメリカ合衆国西海岸からロシアに郵便と乗客を運ぶ空路の調査に興味を持つようになった。ポストは資金が足りなかったので2機の飛行機から回収した部品を使って1機の飛行機を組み立てた。機体は耐空性のあるロッキード・オリオンのものから、翼は壊れていた実験用のロッキード・イクスプローラーから持ってきた。イクスプローラーの翼はオリオンが持っていた翼より6フィート (1.8 m) 長かったが、合成飛行機の航続距離を伸ばす利点があった。イクスプローラーの翼には引き込み可能な着陸装置が無かったので、アラスカやシベリアの湖に着水するためのフロートを備えるには適していた。ポストの友人であるロジャースは、ポストが飛行機を改造している間にカリフォルニア州バーバンクの飛行場をしばしば訪れ、新聞のコラムのための新しい材料を探すためにアラスカを飛んでみたいとポストに頼んだ。ポストが注文したフロートが期限通りシアトルに届かなかったとき、ポストはもっと大きな飛行機のために設計されたフロートを取り付け、ただでさえ機首が重かった合成飛行機がさらに機首が重くなった(ある史料ではフロートがその飛行機に合っていたと述べている)。

ポストとロジャースは7月に試験飛行を行った後、8月初旬にレントンのワシントン湖を出発した。ポストが飛行機を操縦する間、ロジャースは自分のタイプライターでコラムを書いていた。8月15日、彼等はアラスカのフェアバンクスからポイントバーローに向けて出発した。ポイントバーローまで数マイルになった時に、悪天候のために飛んでいる位置が分からなくなり、方向を聞くために潟湖に着水した。離陸のときに低高度でエンジンが止まり、低速度では機種の重い機体を操縦できなくなって潟湖に突っ込み、右翼が折れて、機体は浅い潟湖で裏返しになった。二人とも即死だった。

彼等がフェアバンクスを出発する前に、サウスコースト・コリント・ヨットクラブに所属するヨットクラブ三角旗にサインして郵送していた。この署名入り三角旗は、カリフォルニア州マリーナ・デル・レイのサウスコースト・コリント・ヨットクラブに展示されている。

オクラホマ州クレアモアのウィル・ロジャース記念碑にあるウィル・ロジャースの墓

オクラホマ州の表彰

ワシントンD.C.アメリカ合衆国議会議事堂国立彫像ホール・コレクションにオクラホマ州が寄贈した彫像の1体はロジャースのものである。その制作費用は州予算に計上され、彫刻家ジョー・ダビッドソンが粘土で形作り、ベルギーブリュッセルで青銅像に鋳込まれた。ダビッドソンはロジャースの親友であり、ダビッドソンがいつも彫刻用の頭を探していたので、ロジャースが「ヘッドハンター」という渾名を付けていた。1939年6月6日、2,000人以上の観客の前で除幕され、国立彫像ホールの隣、下院議場入口に面して立っている。議事堂建築監デイビッド・リンは、議事堂でこのように大きな儀式が行われこれほど多くの人が集まったものは無かったと言った[1]

オクラホマの指導者達が議事堂に収める2つの彫像の一つとして、州を代表するようロジャースに求めたとき、ロジャースは下院議場に面して彫像が置かれるという条件で合意していた。おそらく「議会に常に目を付けていられる」ようにだと考えられている。議事堂のこの部分にある彫像の中で、ロジャースの彫像のみが議場入口を向いている。議事堂の案内人に拠れば、歴代大統領が一般教書演説を行うために議場に入る前に、幸運を願ってロジャースの像の左足を撫でるということである[16]

オクラホマ州では多くの場所や建物がロジャースに因んで名付けられている。生誕地はオクラホマ州ウーロガーの2マイル (3 km) 東にある。ヴァーディグリス川が溢れてウーロガー湖を作った時に、その家自体は約4分の3マイル (1.2 km) 移動され、当初の場所を見下ろす現在の位置に据えられた。家族の墓は近くのクレアモアにあるウィル・ロジャース記念博物館にあり、そこは1911年にロジャースが余生を過ごすために購入した場所である。1944年、ロジャースの遺体はカリフォルニア州の地下墓所からこの墓に移された。妻のベティがその年遅くに死んだときに、ロジャースの隣に埋葬された。国立彫像ホールに立っているダビッドソンの彫像のコピーをダビッドソンが自費で鋳造し、この博物館に収めた。生誕地と博物館はどちらも公開されている。

オクラホマシティのウィル・ロジャース・ワールド空港はロジャースに因んで名付けられている。またタルサとミズーリ州ジョプリンの間の州間高速道路44号線の部分として知られるウィル・ロジャース・ターンパイクも同様である。オクラホマ州ビニタ近くで、州間高速道路の両レーンに跨るマクドナルドの西アンカー外にロジャースの彫像が立っている。ウィル・ロジャース・ワールド空港が最近拡張、改良され、ターミナル正面に馬に跨ったウィル・ロジャースの彫像が置かれた。

オクラホマ州にはウィル・ロジャースの名前を冠した学校が13ある。タルサのウィル・ロジャース高校などである。オクラホマ大学は学生会館の大きな部屋をウィル・ロジャース・ルームと名付けた[17]。アメリカ・ボーイスカウトにはオクラホマ州クリーブランド近くにウィル・ロジャース協議会とウィル・ロジャース・スカウト保留地がある。

カリフォルニア州の記念碑

アメリカ国道66号線の西終点にある記念碑

カリフォルニア州ロサンジェルスのパシフィック・パリセイドには、ロジャースの家、馬屋、およびポロ競技場が州立ウィル・ロジャース歴史公園として大衆の娯楽のために保存されている。未亡人ベティが1944年に死ぬときにその資産をカリフォルニア州に遺贈した。サンタモニカのウィル・ロジャース小学校はロジャースに因んで名付けられている。ロングビーチとフェアオークスにはそれぞれウィル・ロジャースの名を冠した中等学校がある。アメリカ海軍原子力潜水艦ウィル・ロジャース (USS Will Rogers, SSBN-659) は彼の栄誉を称えて名付けられている。ビバリーヒルズのサンセットドライブ・アンド・ビバリーにある小さな公園もウィル・ロジャース公園と名付けられている。またマリブの海浜はウィル・ロジャース・ビーチと名付けられた。

アメリカ国道66号線はウィル・ロジャース・ハイウェイと呼ばれている。このユモリストにハイウェイを献げる銘板がサンタモニカの66号線西端の反対側に置かれている。

テキサス州の記念碑

1936年、テキサス州フォートワースにウィル・ロジャース記念センターが建設された。コロシアムのロビーには愛馬ソープスーズに乗ったロジャースの壁画が掛かり、ランドマーク・パイオニア・タワーのロタンダ下にはロジャースの胸像が置かれている。ソープスーズに跨った等身大ロジャースの彫像は『日没に向かって』と題され、エレクトラ・ワゴナー・ビッグスが制作し、芝生の上に置かれている。

『日没に向かって』のコピーがテキサス州ラボックのテキサス工科大学の主キャンパス中庭入口に立っている。この記念碑は1950年2月16日に、ロジャースの長年の親友だったアモン・G・カーターによって除幕された。カーターはテキサス工科大学がこの彫像に完璧に適した場所であり、テキサス州西部の伝統と景色に映る者と考えた。

この彫像は高さ9フィート11インチ (302 cm)、重さが3,200ポンド (1,440 kg) ある。見積費用は25,000ドルだった。彫像の台座には「お気に入りの馬ソープスーズに跨り西部の日没に向かって騎り進む愛されたオールド・ウィル・ロジャース」と彫られている。

今日、この彫像についてテキサス工科大学の伝統と伝説がある。一つの伝説では、ウィル・ロジャースが日没に向かって騎り進むように置く計画だったが、そうするとソープスーズのお尻が町の中心街に向くためにできなかった。この問題を解決するために、馬とウィルは23度東に振られ、馬のお尻がライバル校の一つであるテキサス農工大の方向に向くようにされた。

テキサス工科大学のフットボールのホーム試合全ての前に、サドル・トランプスがオールド・ウィルを赤いクレープ紙で包む。国民的不幸を悼む時には黒のクレープ紙でウィル・ロジャースとソープスーズを包んでもいる。

この彫像の3番目のコピーはオクラホマ州クレアモアのウィル・ロジャース記念碑にある。

国民の記念

ロジャースの長男、ビルは1952年の伝記映画『ウィル・ロジャースの物語』に父と同様主演した。1991年トニー賞ミュージカル作品賞を受賞したミュージカルウィル・ロジャース・フォリーズ英語版』では、キース・キャラダインを主役に現代の観衆の前に現れ、一人芝居『ウィル・ロジャースのU.S.A英語版』ではジェームズ・ホイットモアがロジャースを演じている。

1948年11月4日、アメリカ合衆国郵政省はロジャースの肖像を入れた3セント切手の初日カバーでロジャースを記念した。そこには「オクラホマ州クレアモアのユモリスト、ウィル・ロジャースの栄誉に」と記されている。1979年には生誕100年を記念し、アメリカ合衆国郵便公社が「演芸」シリーズの一つとして15セント切手が発行した。

アラスカ州バーローの空港はロジャースとポストの命を奪った飛行機事故現場から約16マイル (26 km) の位置にあり、ウィリー・ポスト=ウィル・ロジャース記念空港と呼ばれている。

映画の中の人物

1994年の映画『ミセス・パーカー/ジャズエイジの華』ではキース・キャラダインが演じた[18]


  1. ^ a b Curtis, Gene (2007年6月5日). “Only in Oklahoma: Rogers statue unveiling filled U.S. Capitol”. Tulsa World. http://www.tulsaworld.com/webextra/itemsofinterest/centennial/centennial_storypage.asp?ID=070605_1_A4_cpRog15817 2007年7月21日閲覧。 
  2. ^ a b c “RSU and Will Rogers Museum to Discuss Possible Merger” (プレスリリース), Rogers State University, (2007年4月18日), http://www.rsu.edu/news/2007/04-18_willrogersmuseum.html 2007年7月20日閲覧。 
  3. ^ a b c Schlachtenhaufen|, Mark, Will Rogers grandson carries on tradition of family service, OkInsider.com, Oklahoma Publishing Company, 2007-05-31
  4. ^ a b Yagoda, Ben. Will Rogers: A Biography. Norman: University of Oklahoma Press, 1993: 8.
  5. ^ a b c d Adventure Marked Life of Humorist”. The New York Times (1935年8月17日). 2007年7月20日閲覧。
  6. ^ Carter, Joseph H. and Larry Gatlin. The Quotable Will Rogers." Layton, Utah: Gibbs Smith, Publisher, 2005:20.
  7. ^ Ferguson, Deborah, Ferguson's Family Tree & Branches, RootsWeb, 2003-01-10
  8. ^ "Origin of County Names in Oklahoma." Oklahoma History Society's Chronicles of Oklahoma. 2:1, March 1924 (retrieved 18 Jan 09)
  9. ^ a b c “Chewing Gum and Rope in the Temple”. The New York Times: p. 90. (1915年10月3日) 
  10. ^ Ben Yagoda, Will Rogers: A Biography, p 56, 2000, University of Oklahoma Press, ISBN 978-0806132389
  11. ^ “Give A Thought To Will”. The New York Times: p. 13. (1922年11月13日) 
  12. ^ “Written On The Screen”. The New York Times: p. 50. (1919年6月8日) 
  13. ^ Rogers, Will (1922年12月31日). “Slipping the Lariat Over (December 31, 1922)”. The New York Times 
  14. ^ Beam, Christopher; Chadwick Matlin (2007年10月23日). “Will Rogers: The Stephen Colbert of his time.”. Slate. 2009年8月26日閲覧。
  15. ^ Will Rogers: Radio Pundit”. Will Rogers Memorial Museums <http://www.willrogers.com> (2008年3月31日). 2009年8月26日閲覧。
  16. ^ “Police Dept., police explorers strolls through the streets of the U.S. Capitol, stops for visits”. The Anderson Independent-Mail. (2007年7月18日). http://www.independent-mail.com/news/2007/jul/18/police-dept-police-explorers-strolls-through-stree/ 2007年7月20日閲覧。 
  17. ^ Oklahoma Memorial Union - Will Rogers Room”. Union.ou.edu. 2009年8月14日閲覧。
  18. ^ Internet Movie Database entry for Mrs. Parker and the Vicious Circle


「ウィル・ロジャース」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ウィル・ロジャース」の関連用語

ウィル・ロジャースのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ウィル・ロジャースのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのウィル・ロジャース (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS