アンネ=ゾフィー・ムター 人物・来歴

アンネ=ゾフィー・ムター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/01 06:25 UTC 版)

人物・来歴

南バーデン地方フライブルク行政管区)出身。バーゼル近郊のラインフェルデン出身とされていたこと、スイス楽壇(とりわけパウル・ザッハー)とのゆかりの深いことから、日本ではスイス人とする資料もあるが、生地はスイス側のラインフェルデンではなく、ドイツ側の同名の町である。

5歳の時、初めピアノの手ほどきを受けたが、間もなくヴァイオリンに変更する。エマ・ホニッヒベルガー及びアイダ・シュトッキに師事。早くから受賞歴を重ねたため、音楽に打ち込めるように学校教育を免除された。13歳でヘルベルト・フォン・カラヤンに招かれ、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演、国際的に天才少女の名をほしいままにする最初のきっかけとなる。1977年には、ダニエル・バレンボイム指揮のイギリス室内管弦楽団と共演して、ザルツブルク音楽祭にもデビューした。

15歳でカラヤン指揮のベルリン・フィルと共演で、モーツァルト協奏曲を録音。1980年にはズービン・メータ指揮のニューヨーク・フィルハーモニックと共演して、アメリカ・デビューを飾る。1988年に北米大陸縦断コンサートを行った際、カーネギー・ホールにデビューした。

レパートリーは広く、ヴィヴァルディから現代音楽までを扱うが、とりわけ得意は新ウィーン楽派バルトークアンリ・デュティユーなどの近現代の音楽である。

これまでに、グラミー賞を4回受賞している。

元夫は、指揮者ピアニスト等として広く知られるアンドレ・プレヴィン。プレヴィンとは、2002年に結婚し、2006年に離婚している。2019年高松宮殿下記念世界文化賞受賞。

日本好きでも知られる。

使用楽器

ムターは2丁のストラディヴァリウスを所有している。1つは1703年製「エミリアーニ(Emiliani)」、もう1つは1710年製「ロード・ダン=レイヴン(Lord Dunn-Raven)」。その他に、ドイツ・ブレーメンにあるFinnigan-Klaembt工房作(1999年)、イタリアボローニャの弦楽器製作者レガッツィ作(2005年)などを所持している。

指揮活動

ヴァイオリンを弾きながらの、いわゆる弾き振りにも精力的な姿勢を見せ、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲などで演奏を聴かせている。数年間にわたる指揮者としての勉強がスコアの解釈を大きく変え、細部への興味が増したと述べている。




「アンネ=ゾフィー・ムター」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アンネ=ゾフィー・ムター」の関連用語

アンネ=ゾフィー・ムターのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アンネ=ゾフィー・ムターのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアンネ=ゾフィー・ムター (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS