エーシー‐ディーシー【AC/DC】
読み方:えーしーでぃーしー
ACDC
分子式: | C37H41NO14 |
その他の名称: | (2S)-1,2,3,4-Tetrahydro-2,5,12-trihydroxy-2-(2-hydroxy-1-oxoethyl)-4α-[[3-[[[(4,4-dimethyl-6-oxo-1-cyclohexene-1-yl)methoxy]carbonyl]amino]-2,3,6-trideoxy-α-L-lyxo-hexopyranosyl]oxy]-7-methoxynaphthacene-6,11-dione、ACDC |
体系名: | (2S)-1,2,3,4-テトラヒドロ-2,5,12-トリヒドロキシ-2-(2-ヒドロキシ-1-オキソエチル)-4α-[[3-[[[(4,4-ジメチル-6-オキソ-1-シクロヘキセン-1-イル)メトキシ]カルボニル]アミノ]-2,3,6-トリデオキシ-α-L-lyxo-ヘキソピラノシル]オキシ]-7-メトキシナフタセン-6,11-ジオン |
AC/DC
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/10 08:50 UTC 版)
AC/DC(エーシー・ディーシー)は、オーストラリア出身のロックバンド。1973年結成。
- 1 AC/DCとは
- 2 AC/DCの概要
整流器
(ac/dc から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/29 04:25 UTC 版)
整流器(せいりゅうき、英語:rectifier)は、電流を一方向にだけ流す(整流)作用を有する素子[1][2]。交流を直流に変換する素子の総称であり、実際の素子としては、陰極(カソード)と陽極(アノード)の2端子、あるいは、さらに制御端子を加えた3端子のものがある[1]。
- ^ a b 電気用語辞典編集委員会編 『新版 電気用語辞典』 コロナ社、1982年 「整流」「整流器」「整流素子」
- ^ 岡村総吾監訳 『IEEE電気・電子用語辞典』 丸善、1989年 「整流」「整流器」「整流素子」
- ^ a b 堀井武夫 『電気機器概論』コロナ社〈電子通信大学講座〉、1963年8月30日。
- ^ 宮入庄太 「4.整流回路」『大学講義 パワーエレクトロニクス』 丸善、1974年
- ^ 佐藤守男 「第3章 ソフト同期整流型スイッチング電源…16.5V3A」『トランジスタ技術SPECIAL No.57』 pp.47-49、CQ出版社、1997年
- ^ Lander, Cyril W. (1993). “2. Rectifying Circuits” (英語). Power electronics (3rd ed.). London: McGraw-Hill. ISBN 978-0-07-707714-3
- ^ 電気主任技術者国家試験問題平成16年度第3種
AC/DC
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/22 13:48 UTC 版)
「ラリー・ヴァン・クリート」の記事における「AC/DC」の解説
ヴァン・クリートは4ヶ月バンドに留まったが、1974年2月には脱退し、ベースはニール・スミス(Neil Smith)に交代した。その後数ヶ月にわたってAC/DCは何人ものベーシストを雇い、4月からはロブ・ベイリーがメンバーとなるが、1975年1月にはベイリーが解雇されてしまい、直後にはヴァン・クリートが復帰して穴を埋めることも何回かあった。やがて、適任者が見つかるまではマルコム・ヤングか、ヤング兄弟の兄ジョージ・ヤングがベースを担当することが決まる。適任者として、新たに3月からメンバーとなったのはマーク・エヴァンスであった。 ちなみに、ヴァン・クリートは、AC/DCの歴史において、唯一のアメリカ合衆国生まれのメンバーである。
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AC/DC
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マルコムとアンガスは、1973年11月にAC/DCを結成した。当時マルコムは20歳、アンガスは18歳であった。1974年に、彼らは初代ヴォーカリストのデイヴ・エヴァンスと共に世界ツアーを行う。 1976年に、AC/DCの活動拠点をイギリスに移し、世界ツアーおよびアルバム制作の過密なスケジュールをこなし始めた。しかし1980年、ヴォーカリストのボン・スコットが死亡、彼らは後継のヴォーカリストとしてブライアン・ジョンソンを迎える。ブライアンを加えて制作されたアルバム『バック・イン・ブラック』は世界中で爆発的なヒットとなった。 マルコムはアルコール依存症のため、1988年のツアーには不参加であった。しかしながらこの事実は隠され、公式には息子の病気のためツアーに参加しなかったとされた(息子は実際に病気であった)。マルコムはその後アルコール依存症を克服し、バンドに復帰した。マルコムの不在時、彼の甥であるスティーヴィーが後任としてバンドに参加した。 2014年4月、AC/DCはマルコムが休養すると告知。後に、今後バンドへ復帰することはないと発表した。ほどなくしてマルコムが認知症を患っていると報道され、家族もそれを認めた。
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AC/DC
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「クリフ・ウィリアムズ」の記事における「AC/DC」の解説
AC/DCの初代ベーシストだったマーク・エヴァンス(Mark Evans) は、1977年のスタジオ・アルバム『ロック魂』のレコーディング直後に解雇され、ウィリアムズは新しいベーシストとして採用された。ウィリアムズは、アルバム『ロック魂』を受けたレット・ゼア・ビー・ロック・ツアーからAC/DCのメンバーとして登場し、スタジオ・アルバムでは1978年の『パワーエイジ』でデビューした。ウィリアムズは、リズム・ギターをフォローする安定したコード弾きによるベース・ラインを確実に刻みながら、リズム・ギターのマルコム・ヤングとともにバッキング・ヴォーカルも務めていた。 2016年7月、相次ぐメンバー交代から活動意欲を無くし、また自身の健康状態も思わしくなく、ツアー終了次第バンドを離れて音楽界からも引退することを表明した。 しかし、2018年、ブライアン・ジョンソン、フィル・ラッドがAC/DCに復帰する事を受け引退を撤回、ジョンソン、ラッドと共にバンド復帰を果たした。
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AC/DC
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 19:10 UTC 版)
エヴァンスは、アンガス・ヤング、マルコム・ヤング、コリン・バージェス(Colin Burgess)、ラリー・ヴァン・クリート(Larry Van Kriedt)とともに、AC/DCの結成メンバーの一人であった。エヴァンスは1年ほどメンバーであったが、1974年9月ころ、ツアー中の軋轢が高じてマネージャーと殴り合う事態に至り、バンドからの離脱が避けられなくなってしまった。このため、エヴァンスに代わり、当時バンドの器材車のドライバーだったボン・スコットが後任のヴォーカルとなった。 エヴァンスは、AC/DC在籍時には、オーストラリアとニュージーランドでリリースされたシングル盤1枚2曲「Can I Sit Next to You Girl / Rocking In The Parlour」の録音を残している。「Can I Sit Next to You Girl」については、プロモーション・ビデオも作成された。
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固有名詞の分類
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