W154(1938年型)の開発
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詳細は「メルセデス・ベンツ・W154」を参照 1934年から施行された「750kgフォーミュラ」規定で馬力を制限できなかったことへの反省から、AIACRは1937年からの新規定では排気量の制限を行い、自然吸気エンジンの場合は排気量は1,000㏄以上4,500㏄以下、過給機付きエンジンの場合は排気量は666cc以上3,000cc以下の範囲内とするよう定めた。車重は排気量に応じて「最低重量」を定め、過給機付きの666㏄エンジンを搭載する場合は車重(乾燥重量)は400㎏以上、3,000ccエンジンを搭載する場合は800㎏以上とするよう定められ、チーム側にはその範囲内で開発の選択肢が与えられた。パワーウェイトレシオを考慮して、小排気量かつ軽量の車両にするという選択肢もあったが、メルセデスチームは迷わず過給機付きの大排気量エンジンを選択し、スーパーチャージャー付きの3,000ccのV12エンジンを製作することにした。 新規定は元々は1937年から導入される予定だったため、W154の設計は1938年シーズン開幕の1年以上前の1937年3月18日には完成していた。実質的にW154の派生型であるW125は同じ3月に車体が完成し、その完成から3ヶ月ほど経ってW125の開発が一段落ついたあたりから、W154の本格的な開発が進められた。上述のV12エンジン、M154エンジンは1938年2月7日に初始動し、3月中旬に完成したW154第1号車に搭載されてテスト走行が始められた。 選手権が始まるとすぐに高い戦闘力を発揮したが、完成初年度ということもあって様々な開発が試され、ボディ形状や装備はたびたび変更された。
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W154(1939年型)の開発
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W154(1938年型) W154(1939年型) インテークの形状をはじめ、異なる外観を有している。 1939年型のW154のほとんどは1938年型のW154を改装(コンバート)する形で製作され、最初から1939年型として新造されたのは1台のみである。1939年型ではボディの空力が大きく見直されたことと、ブレーキもより強力なものに変更されたため、1938年型とは異なる外観を持つことになり、一見すると前年型の改装には見えない車両となった。 1938年のM154エンジンは燃費が劣悪であったことから、エンジンは1940年も使用することを想定してM163エンジンが新規に開発された。一方で、前年のM154エンジンには従来は並列1ステージで使用されていたルーツ式スーパーチャージャーを直列2ステージにすることで強化し、これが高い性能を発揮したことから、1939年は新型のM163エンジンと旧型のM154エンジンの両方が使い分けられてW154に搭載された。フランスグランプリ(ランス)で投入されたエンジンはW154としては最大となる483馬力の出力を発生した。 燃費の悪さはM163エンジンでも解決できなかったため、燃料タンクを1938年型の75ガロン(340リットル)から88ガロン(400リットル)に増すことで、劣悪な燃費に対処した。
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