W196の圧勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 15:28 UTC 版)
「ルドルフ・ウーレンハウト」の記事における「W196の圧勝」の解説
詳細は「メルセデス・ベンツ・W196」を参照 W196 (W196R)は、当初は前後のタイヤを覆ったストリームライナー仕様でデビューし、タイヤを剥き出しにしたオープンホイール仕様は参戦3戦目となる1954年ドイツグランプリから登場した。300SLR(W196S)はW196Rを2座席のレース用スポーツカー仕様に再設計したものである。 グランプリレースへの復帰を計画したメルセデスチームは、2.5リッターエンジン規定が導入される1954年を見据え、戦前のW154以来となる新車開発を進め、ウーレンハウトの下で完成したのがメルセデス・ベンツ・W196(W196R)である。開発の遅れにより、チームの参戦と車両の投入は同年第4戦となったが、参戦初戦のフランスグランプリでは、予選で1位と2位を占め、決勝でも1-2フィニッシュを飾り、それを皮切りに、参戦した6戦を4勝し、ファン・マヌエル・ファンジオに彼にとって2つ目のドライバーズタイトルをもたらすこととなった。 開幕戦から参戦した翌1955年もW196はライバルのランチア(D50)、フェラーリ、マセラティ(250F)らを寄せ付けず、シーズン全7戦中5勝を挙げ、その5勝の内、第4戦から最終戦(第7戦)は4戦連続の1-2フィニッシュを遂げ、さらにその内の第6戦イギリスグランプリではW196に乗った4人全員で1-2-3-4フィニッシュを達成するという圧勝ぶりであった。 W196は2年連続でファンジオにチャンピオンシップタイトルをもたらしたが、当時のF1にはコンストラクターズタイトル(製造者部門のチャンピオンタイトル)が存在しなかったため、2年に渡ってシーズンを圧倒したにもかかわらず、メルセデスがチャンピオンタイトルを得ることはなかった。チームとしてのメルセデスがF1で世界タイトルを初めて獲得するのは半世紀以上後の2014年のこととなる。 ウーレンハウトが設計したW196は参戦した全12戦中9勝(非選手権も含めると14戦中11勝)しており、メルセデスが大きなアドバンテージを築いたままこの2年のみで活動停止したことで印象が強いこともあり、F1史上においても名車の1台に挙げられることが多い車となっている。
※この「W196の圧勝」の解説は、「ルドルフ・ウーレンハウト」の解説の一部です。
「W196の圧勝」を含む「ルドルフ・ウーレンハウト」の記事については、「ルドルフ・ウーレンハウト」の概要を参照ください。
- W196の圧勝のページへのリンク