W125レコルトワーゲン(1937年)
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「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「W125レコルトワーゲン(1937年)」の解説
詳細は「メルセデス・ベンツ・W125レコルトワーゲン(英語版)」を参照 1937年もグランプリレースのシーズン後に国際B級(5,001 - 8,000cc)の速度記録更新を狙い、W125の車体に前年のW25レコルトワーゲンとほぼ同じボディを架装し、最大出力を736馬力にまで強化したM25DABエンジンを搭載した車両を用意した。 1937年10月にフランクフルト・ダルムシュタット間で同車で速度記録に挑んだが、速度が400 km/hに迫った段階で車体前部に揚力が発生して浮き上がる兆候が生じたため、記録更新は断念された。そうしている間に、同10月25日にアウトウニオンのベルント・ローゼマイヤーが公道上で歴史上初めて400 km/hを突破して国際B級の新たな世界記録を樹立した。これはメルセデスチームの奮起を促すこととなる。
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