V9以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 05:07 UTC 版)
「V9 (読売ジャイアンツ)」の記事における「V9以後」の解説
9連覇を後押しした一因として、1965年(V9が始まった年)より戦力均衡化を意図し導入されたドラフト制度があげられる。左翼手高田繁・エース堀内恒夫(この2人と関本四十四がV9期間中に最優秀新人を獲得)などを初期に獲得したことでV9メンバーが固定化されたが、反面若手の突き上げがないに等しく、V9時代のレギュラー、特に野手の入れ替えはほとんどなかったため、V9達成時はレギュラーメンバーのほとんどがベテラン選手であった。そのため1970年代に入ると、徐々に主力選手の高齢化による衰えが見え始め、同時に大洋・広島・ヤクルトにもドラフトの効果が徐々に現れてきたことも相まって、チームの勝率も徐々に低下。末期の1973年シーズンは前述通り、混戦となって、最終的には勝率.524だった。 翌1974年には中日の優勝を許し、V10はならなかった。しかしながら順位は2位も、優勝した中日とはシーズン終わってゲーム差はなしであった。この年を最後に川上が監督を勇退し、同時に長嶋・黒江・森も現役を引退した(長嶋はそのまま監督に就任し、黒江はコーチに就任、森は解説者に転身した)。長嶋が監督に就任した翌1975年は、一転して球団史上初となるシーズン最下位に転落した。やはり第一要因は長嶋自身の穴であり、張本勲の大型トレードや、外国人枠を起用で解決することとなった。1976年・1977年にリーグ2連覇を達成したが日本シリーズはいずれも阪急に敗退し、翌1978年にはV9メンバーだった広岡達朗監督率いるヤクルトとの優勝争いに敗れた。 V9メンバーからプロ野球監督になった者が多いのも特徴的で、巨人以外の監督も含めると10人以上が挙げられる。独自の管理野球でチームを率いてヤクルトスワローズを球団初の日本一に導いた広岡達朗、川上野球を受け継ぎ1990年代の西武黄金時代を築いた森祇晶(昌彦より改名)、川上野球からの脱却を図った長嶋茂雄、攻撃野球を目指し後の福岡ソフトバンクホークス黄金時代の土台を築いた王貞治、守備優先のチームを作った土井正三・高田繁、「史上最強打線」を作った堀内恒夫など、V9戦士が監督をつとめたチームの特色は様々であった。 また、V9以後巨人は日本シリーズを連覇したことがない。 セ・リーグに限ると、巨人のV9以降のリーグ連覇は3連覇が最高で、これまでに3度ある(2007年〜2009年・2012年〜2014年の巨人、2016年〜2018年の広島)。ただし、日本シリーズを連覇したのは1979年〜1980年の広島の2連覇だけである。 パ・リーグでは、ソフトバンクは2020年で巨人のV9以来の日本シリーズの4連覇を達成し、パ・リーグで初めての同一球団での4連覇が発生した。なお、パ・リーグ自体も2013年に楽天が日本シリーズで巨人に勝利して以降、2020年までパ・リーグ勢が8連覇を果たした。そのうち6勝がソフトバンクによるものであり、2016年も日本ハムが勝利している。2021年はオリックスが勝利すればパ・リーグ勢の9連覇となり「V9」と並ぶタイ記録だったが、ヤクルトに敗退したため、実現しなかった。
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