はりもと‐いさお〔‐いさを〕【張本勲】
張本勲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/21 02:24 UTC 版)
張本 勲(はりもと いさお、1940年6月19日 - )は、広島県広島市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球解説者・野球評論家。
- ^ 『プロ野球人名事典2003』に「本名・張勲」と表記。読みがな・ハングル表記については明記されず。
- ^ 張本の兄がタクシーの運転手だったため、使えなくなったタイヤを譲ってもらっていた(『別冊宝島 1339 プロ野球無頼派選手読本』より)。
- ^ 幼い頃に父を亡くした張本に取っては兄は絶対的な存在であり、また浪商に転校する際にも、収入の半分の一万円を毎日もらうなど、経済的にも多大な援助を受けていた。
- ^ Vシネマにもなった山本の自伝的著書『浪商のヤマモトじゃ!』(南風社、2002年)では、張本に関する数々のエピソードがフィクションも交えて紹介されている。
- ^ 同年、王貞治も新人で開幕スタメン出場。NPBで18歳の高卒新人の開幕スタメンは以後1965年の飯田幸夫、1988年の立浪和義、2006年の炭谷銀仁朗、2011年の駿太、2013年の大谷翔平、2022年の松川虎生しかいない。高卒新人外野手としては駿太まで以後52年間出なかった。
- ^ 豊田泰光の記録に3年ぶりに並んだ
- ^ 「安打製造機」の異名は、張本以前には榎本喜八が取っており、1990年代以降ではイチローがそう呼ばれることがある。
- ^ 1973年から1982年まで、パ・リーグでは前後期制を採用していた。
- ^ 大沢は著書『球道無頼』(集英社、1996年)の中で、三原から張本が巨人に行きたがっていると聞かされて、チーム改革のために「迷わず、ふたつ返事でOKした」と記している(同書144頁)。一方張本自身も週刊ベースボール2022年4月18日号内の連載『張本勲の喝!!』の中で、この当時大沢から「残らんか。一緒にやろうじゃないか」と残留を促されるも、もう決まったことだからと丁重に断ると、残念そうにしていたと述懐し明かしている(同誌43頁)。
- ^ 2009年にシアトル・マリナーズのイチローが日米通算3086安打を記録し、日本メディアは「日本記録更新」と報道したが、NPBでは日本記録と認められておらず、NPBの最高責任者である加藤良三プロ野球コミッショナーも張本の3085安打が日本記録だと明言している(『週刊現代』2009年5月9日号、講談社)。
- ^ 2001年9月まで、ラジオ・テレビ兼営放送局であったが、10月にラジオを子会社として分離、2009年4月には持株会社化(東京放送ホールディングス→TBSホールディングスへの社名変更)に伴いテレビも子会社として分離(TBSの略称もTBSテレビに継承)された。
- ^ 初犠打を記録したのは1973年。現役通算で4度記録しているが、どれもシーズンで一回きりの犠打であり、シーズンを通しても積極的に犠打をしたことにはならない。
- ^ 水原茂監督曰く「点を取るゲームではなく点を取らせないゲームにしたいため、守備のうまい選手が必要だった」という。
- ^ 当時は年齢による衰えと思われていた。後に視野は回復した。
- ^ 実際は読売ジャイアンツの原辰徳が監督に就任し、日本代表を連覇に導いている。
- ^ ただし、力道山が生まれ育ったのはのちの朝鮮民主主義人民共和国である。
- ^ 厳密には、所有権を持つ東急ベースボール倶楽部株式会社(東京急行電鉄の子会社)から運営権を受託された東映興業株式会社。
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