EPROMの開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/16 01:27 UTC 版)
「ドブ・フローマン」の記事における「EPROMの開発」の解説
1969年に博士号を取得した後、元フェアチャイルドのゴードン・ムーア、ロバート・ノイス、アンドルー・グローヴを追って、その前年に設立されたインテルに入社した。 消去可能でありながら簡単に再プログラムが可能な初の不揮発性半導体メモリであるEPROMのコンセプトをフローマンが開発したのは、1970年に彼が初期のインテル製品の故障をトラブルシューティングしていたときだった。当時、半導体メモリには2つのタイプがあった。ランダムアクセスメモリ(RAM)は、プログラムするのは簡単だったが、電源が切れるとチップの電荷(すなわちチップにエンコードされた情報)が失われてしまう。これを「揮発性」という。リードオンリーメモリ(ROM)は対照的に「不揮発性」であり、チップ内に符号化された情報は固定されていて、変更することはできない。ROMをプログラミングするプロセスは、時間と手間がかかる。一般的に、データは工場で焼き込む必要があり、マスキングと呼ばれるプロセスを経てチップに物理的に埋め込まれ、完成までには通常数週間を要した。そして、一度プログラムされたROMチップ内のデータは、変更することができなかった。 EPROMは、不揮発性でありながら再プログラムが可能である。EPROMは、フラッシュメモリの技術につながる技術革新と開発のきっかけとなった。EPROMは、パーソナルコンピュータ業界における重要な技術革新でもあった。インテルの創業者ゴードン・ムーアは、「マイクロコンピュータ業界の発展において、マイクロプロセッサそのものと同じくらい重要である」と言った。1980年代に入っても、それはインテルで最も収益性の高い製品であることに変わりはなかった。
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