720年代
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720年代(ななひゃくにじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)720年から729年までの10年間を指す十年紀。
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720年代
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詳細は「720年代」を参照 720年『日本書紀』完成。舎人親王が『日本紀』30卷・系図1卷を撰上する。 大隅国国司陽侯麻呂が殺害され、隼人の反乱が起こる( - 721年)。 722年 - コバドンガの戦いでペラーヨがイスラム勢力からアストゥリアスを奪回(最初のレコンキスタ)。 722年頃 - 新羅人僧慧超がインドに渡る( - 727年)。 723年田地開墾のため三世一身法を施行する。太安万侶が死去、現奈良市此瀬町の「太安万侶墓」に墓誌が残る。 ウマイヤ朝ヤズィード2世がキリスト教徒の聖画像を禁止する。 724年元正天皇が譲位し、第45代聖武天皇(首皇子)が即位する。 ウマイヤ朝カリフのヒシャーム・イブン・アブドゥルマリクが即位( - 743年)。ウマイヤ朝最後の安定期をもたらし、モザイク床遺跡で知られるヒシャーム宮殿(英語版)を建設。 ピルミニウス(英語版)によりボーデン湖(コンスタンツ湖)の島にライヒェナウ修道院が創設される。 725年 - 唐の玄宗皇帝が封禅の儀を行う。 726年 - 東ローマ皇帝レオーン3世が聖像禁止令を公布(イコノクラスム(聖像破壊運動)の始まり)。 727年 - 渤海国王大武芸が高仁義らを日本に派遣(第一回渤海使)。翌年には日本から遣渤海使が送られる。 728年 - ローマ教皇グレゴリウス2世とランゴバルド王リウトプランドの領土寄進に関する合意がなされる(「スートリの寄進(英語版)」)。 729年 - 長屋王の変。藤原光明子(光明皇后)が立后される(皇族以外の最初の立后)。
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