おおのやすまろ 【太安万侶】
太安万侶
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太 安万侶(おお の やすまろ)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族。名は安麻呂[1]とも記される。姓は朝臣。『和州五郡神社神名帳大略註解』巻4補闕に所収されている、久安5年(1149年)謹上の「多神宮注進状」によれば、小錦下・多品治の子とされる[2][3]。官位は従四位下・民部卿、贈従三位。
- ^ 『続日本紀』『弘仁私記』『日本紀竟宴和歌』など
- ^ 國學院大学氏族データーベース「意富臣[1]」
- ^ 谷川健一, 池田末則, 宮田登編『日本庶民生活史料集成 第26巻 神社縁起』(三一書房、1983年)
- ^ a b 『古事記』序
- ^ 『弘仁私記』序
- ^ 黛弘道「太安万侶の墓誌と『続日本紀』」『物部・蘇我氏と古代王権』(吉川弘文館、1995年)
- ^ 鷺森浩幸「内外階制と貴族」『天皇と貴族の古代政治史』(塙書房、2018年)
- ^ 太安萬侶墓 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ a b 太安萬侶墓誌/癸亥年七月六日在銘/奈良県奈良市此瀬町出土 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 『続日本紀』では7日とする
- ^ 〔太安万侶追陞ノ件〕、諸雑公文書(請求番号:本館-4E-018-00・雑02478100)、国立公文書館
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