1851年クーデターまでとは? わかりやすく解説

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1851年クーデターまで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 05:56 UTC 版)

フランス第二共和政」の記事における「1851年クーデターまで」の解説

ルイ・ナポレオン政治は、「国内では秩序権威宗教、そして民衆福祉国外で国家威信」をとしたが、その政治反動的なものであったオルレアン派穏健共和派連立であったバロー内閣退陣させる一方議会内の勢力均衡観点からブルボン王朝派の閣僚ファルー公爵との協調重視し、彼が提出した教育改革法通過支援した。ファルー法(フランス語版)と呼ばれるこの法律により、中高教育私学認可カトリック教会支持する宗教教育導入され共和派教員パージおこなわれたこうした反動政策への反発から1850年3月補欠選挙では30議席改選議席20議席山岳党占め議席数を増やした。 しかし、秩序党はこの敗北危機感感じ左派封じ込め図ろう巻き返し始めた秩序党多数占め議会成人男子選挙権骨抜きにするために、選挙法改正しようと試みた左翼支持していた都市部急進的な労働者から選挙権取り上げるべく、選挙権を得るために必要となる居住期間半年から3年延長したその結果1000万人の都市労働者のうち、300万人有権者資格を失うこととなった。とくにパリでの影響大きく有権者62%が選挙権はく奪されたと言われている。新選挙法は大統領選挙での議会の権限強化意味した大統領選挙の有効得票数200以上に規定されていたため、もし有効数に達しなかった場合には議会上位3位から指名できた。山岳党議会反対論陣張った無謀な蜂起避けた1850年5月31日新選挙法が議会賛成多数通過し、これにより議会大統領指名機会高めた同年6月9日集会結社の自由禁止され7月11日には新出版法により検閲復活した一方ルイ・ナポレオン新選挙法に反対意思表明したものの、成人男子選挙権否定につながる政局傍観決め込んだ。彼は秩序党反動責任押し付け、時が到来した民衆権利擁護者として秩序党処断するつもりでいた。 秩序党ルイ・ナポレオン排除のためにあらゆる工作試みたそのひとつがルイ・ナポレオン俸給問題であったルイ・ナポレオン支持者支援を得るため、自身俸給とハリエッタ・ハワードからの借金によって資金調達して全国遊説歓呼を叫ぶ支持者部隊動員しており、軍の兵士たち御馳走振る舞った有力者贈賄繰り返す賄賂政治頼っていた。議会大統領不信感抱いていたため俸給支給拒絶していたが、クーデターへの懸念から選挙法改正協力対す謝礼として臨時俸給260フラン支給することを決定するルイ・ナポレオン最大障害物パリ軍事総督シャンガルニエ将軍であったルイ・ナポレオンはシャンガルニエ将軍秩序党結託してクーデター計画していることを察知1851年1月3日先手打って将軍更迭した。議会によるクーデター阻止され今度ルイ・ナポレオンクーデター試みる番となる。しかし、ルイ・ナポレオン議会との平和共存のために大統領再選禁止規定する憲法45条の修正提案した議会内でも大統領によるクーデター回避する必要性認識され憲法改正議論積極的に交わされるアレクシス・ド・トクヴィル将来政変可能性予測して憲法改正支持したが、7月19日6日をかけた議論の末に憲法改正案賛成446票対反対278票で改正規定三分の二届かず廃案となってしまう。かくしてルイ・ナポレオンクーデター不可避となり、時期を待つのみとなったルイ・ナポレオン大統領選挙資格制限法の撤回求めたが、提案議会から拒絶されて、ついにクーデター決意する1851年12月2日警視総監モーバ、陸軍大臣サン・タルノー(英語版)、内務大臣シャルル・ド・モルニー腹心ペルシニーパリ総司令官ピエール・マニャン(英語版)の主導のもとに1851年12月2日のクーデター起こし国民議会解散してオルレアン派アドルフ・ティエール王党派のベリエ、共和派カヴェニャック将軍や、シャンガルニエ将軍逮捕され議会メンバー次々と拘束された。 翌12月3日民衆派議員ジャン・バティスタ・ボダン(英語版フランス語版)はバリケード上で共和政防衛のために立ち上がるよう民衆鼓舞したが、銃撃受けて死を遂げたクーデター抵抗次々と排除して着々と進められ成功収めた12月20日国民投票結果成人男子選挙復活憲法改正提示した大統領提案可決されクーデター合法化された。1852年11月22日国民投票ルイ=ナポレオン皇帝即位可決された。同年12月2日皇帝ナポレオン3世として即位し第二帝政始まりとなった詳細は「ナポレオン3世」および「1851年12月2日のクーデター」を参照

※この「1851年クーデターまで」の解説は、「フランス第二共和政」の解説の一部です。
「1851年クーデターまで」を含む「フランス第二共和政」の記事については、「フランス第二共和政」の概要を参照ください。

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