1960年代中ごろ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/22 14:31 UTC 版)
「エース・ブックス」の記事における「1960年代中ごろ」の解説
1964年、SF作家でもあるテリー・カーが編集者として入社し、1968年に Ace Science Fiction Specials というシリーズを開始した。これには、アレクセイ・パンシン、R・A・ラファティ、ジョアナ・ラス、アーシュラ・K・ル=グウィンらの重要な小説が含まれている。1960年代後半には、いくつかのテレビ番組に基づいたノベライゼーションの権利も獲得しており、0011ナポレオン・ソロのシリーズやプリズナーNo.6三部作などが有名である。 また、カーとウォルハイムの共同編集で Year's Best Science Fiction というアンソロジーを毎年出版した。また、カーは Universe というオリジナルアンソロジーのシリーズでも成功している。Universe はエース・ブックスから出版されていたが、1971年にカーが退社するとシリーズも他社に移っていった。 1965年、ウォルハイムはアメリカ版『指輪物語』(J・R・R・トールキン)の著作権に抜け穴があることに気づいた。ホートン・ミフリン版は、イギリスの アレン・アンド・アンウィン版の印刷されたページの利用に関する権利を保有しているだけで、アメリカではテキストそのものは著作権で保護されていなかったのである。そこでエース・ブックスはトールキン作品の初のペーパーバック版をジャック・ゴーハンのイラスト付きで出版した。その後激しい論争が起き、バランタイン・ブックスからトールキンのお墨付きの版が出た(その中にはトールキンの「無認可版ではなくバランタイン版を買って欲しい」という旨のメッセージが記されていた)。結局エース・ブックスはトールキンにロイヤリティを支払うことで合意し、その後も出版を続けた。その後、エース・ブックスの主張する著作権に関する考え方は間違っているとされ、そのペーパーバック版はアメリカの著作権法に違反しているとされた。 ウィンは1967年に亡くなった。エース・ブックスは手を広げすぎたために、財政的に破綻し、作家への支払いが滞るようになっていた。契約時ボーナスを支払う金がない状況で、ウォルハイムは作家との契約をするのをしぶっていた。例えば、正しい契約がされていない本が印刷に回されたことがあり、ウォルハイムは後になってその作家がエース・ブックスに3000ドルの借金をしていたことを知った。 ウォルハイムとカーは1971年にエース・ブックスを辞めた。ウォルハイムは New American Library と共に新たなペーパーバック出版社を立ち上げる計画を持っていて、DAWブックスを創設した。カーはフリーの編集者となり、カーとウォルハイムは Year's Best Science Fiction のアンソロジー編集を続行した。
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