風早説
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前述のように、講座派マルクス主義からも、ボアソナードの自然法論はアダム・スミスを単純化したレッセフェール(仏:laissez-faire)に過ぎず、批判を浴びたのは当然だったとの主張がある。 即ち、重要なる事はボァソナードの根本思想が資本主義的自由主義であると云ふことである。…氏の眼には私所有権尊重と云ふ事は人間社会の…永久不変の法則として映ってゐるのである。其処に氏の一徹と思はれるほどの確信の強みがあり…同時に一度時移るか時変る場合…此上なく厄介視されるに至る。蓋し…自由放任主義は資本主義の発展確立の条件ではあったが、やがて…貧富の懸隔を甚しくし…個人主義的自由主義的法律理論はもはや社会の正常なる発展の条件であることを止め、却てその桎梏となるに至ったからである。 — 風早八十二、1929年(昭和4年) 風早説に対しては、明治20年代の日本では経済的不平等は深刻化していないので法典論争とは無関係である、ボアソナードの経済思想が旧民法にどの程度反映されたかはなお検討を要するとの批判がある(池田真朗)。 財産取得編第270条第3項に未成年の習業者未だ筆算を知らざるときは師匠又は親方は何等の反対の合意あるも習業者の為め休憩時間外に於て毎日少くとも一時間を与ふることを要すとあるを以て見るときは…児童は純粋なる職工といはんよりは寧ろ習業者と称するの適当なるものなればなり。…成年男子に労働時間に対して…制限を設くることは何れの場合に於ても吾人の賛成する能はざる所なり、児童養育…又は老親孝養の為め…多く労働せんと欲する者は…成年に達したる者なれば其自由に任ずるも弊害あるなかるべきなり。 — ボアソナード「日本ニ於ケル労働問題」1892年(明治25年)
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