革命委員会の設置
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「5・16軍事クーデター」の記事における「革命委員会の設置」の解説
クーデターに成功した革命軍は軍事革命委員会を設置し、陸軍参謀総長である張都暎を説得して議長に就任させ、クーデターを指揮した朴正煕は副議長に就任した。そして軍事革命委員会は六項目からなる革命公約を発表した。また軍事革命委員会布告第一号によって全国に戒厳令が敷かれ、一切の屋内集会が禁止、出版や報道に対する事前検閲が実施されるとともに、布告第四号で現政権(張勉政権)の解任と国会及び地方議会の解散、政党や社会団体の活動禁止、張政権の全閣僚と政務委員の逮捕、国家機構の一切の機能を軍事革命委員会が代行することが宣言された。 革命公約反共体制の再整備 国連憲章と国際協定の遵守および自由主義諸国との紐帯強化 腐敗と不正の一掃による清新な社会の創造 絶望と飢餓に苦しむ民衆の救済 国土統一のため共産主義と対決し得る国家の建設 革命事業の完遂後、清新な政治家への政権移譲 — クーデター直後、宿舎としていた半島ホテルから脱出し、修道院に身を隠していた張勉首相は5月18日昼に姿を現して臨時閣議を開催、軍事革命委員会への政権移譲を決議した。また尹潽善大統領も非常戒厳令を追認し、軍事革命に対する国民の支持と協力を求める声明を発表した。こうして第二共和国は形式的にも実質的にも崩壊し、軍政が敷かれることになった。 軍事革命委員会発足から三日目の5月19日、名称を国家再建最高会議に改称、治安向上や経済改善などを名目に韓国民の思想・言論を弾圧した。6月10日には秘密諜報機関・韓国中央情報部(KCIA)が発足された。このような朴の政治はその後の韓国政治史の長い軍事政権の土台を築き上げる事となった。
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