闇サイト殺人事件
闇サイト殺人事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 13:58 UTC 版)
詳細は「闇サイト殺人事件」を参照 2007年(平成19年)8月24日夜、堀(当時32歳)はインターネット上の闇サイト「闇の職業安定所」で知り合った男2人[以下「KT」(当時36歳)および「山下」(当時40歳)]と共謀。名古屋市千種区内の路上で帰宅途中の会社員女性(当時31歳)を、乗用車内に押し込んで拉致・監禁した(営利略取罪・逮捕監禁罪)。連行先(同県愛西市内の屋外駐車場)で、被害者から現金62,000円およびキャッシュカードを奪ったほか、包丁を突きつけるなどして被害者を脅迫し、暗証番号を訊き出した。そして、翌日(8月25日)未明に屋外駐車場に駐めた車の中で、被害者の首を絞めたり、顔面に粘着テープを31周にわたり巻きつけたり、頭部を数十回にわたりハンマーで殴打したりして、被害者を窒息死させて殺害し(強盗殺人罪)、遺体を岐阜県瑞浪市内の山林に遺棄した(死体遺棄罪)。その上で、奪ったキャッシュカードで2回にわたり預金を引き出そうとしたが、被害者が告げた暗証番号が虚偽だったため、失敗に終わった(窃盗未遂罪)。 同年3月2日に丁の家を追い出されて以降、堀は乙の下に戻ったが、丁の口座から勝手に引き出した現金のうち100万円を隠し持っていたため、定職に就かず、パチンコ店に出入りする生活を送っていた。やがて丁への返済に窮し、実父や乙の義母、かつて同棲していた丙に借金を申し込むようになったが、丁からの催促が激しくなり、乙に知られずに金策する方法を探すべく、インターネットで仕事情報を探していたところ、闇サイト「闇の職業安定所」を見つけた。その後、闇サイトで仕事募集の書き込みを続けるうちに、「山下」と名乗る男(本名はイニシャル「KK」・当時40歳)からのメールを受け取り、「『山下』なら犯罪行為に長けていて、すぐに現金にありつけそうだ」と考えたことから、一緒に組んで金儲けをすることで合意。 しかしその数日後(2007年8月20日)、丁から「25日に5万円入れなければ考えがある」というメールが届いたため、堀は「要求に従えなければ、丁は(自分が勝手に預金を下ろしたことを)警察に通報するだろう。そうなれば、碧南事件と守山事件への関与が発覚するかもしれない」と恐れるようになり、闇サイトで金策の方法を探していたところ、「山下」の投稿を見つけて彼と再び連絡を取り合うようになり、翌日(2007年8月21日)に「山下」と初対面。この時、「山下」から仲間として、もう1人の共犯である男KT(当時36歳)や、ほか1人の男「杉浦」(偽名)の話を聞かされ、4人で犯罪によって金を得る方法を相談した。そして店舗への強盗、堀の行きつけのパチンコ店の常連客を襲撃する計画、堀の行きつけのダーツカフェ(名古屋西部)への強盗など、様々な犯罪計画を練った。また、8月21日夜には堀たちはKTと初対面したが、堀がその際にハンマーを見せたところ、KTから「顔を見られたら殺すのか?」と言われ、堀と「山下」は「(殺すのも)仕方ない」と応じた。 しかし、思うように金を得ることはできず、8月23日ごろには「杉浦」が強い不満を表明。「山下」は「杉浦」を外し、堀とKTとともに3人で金策を練ろうとし、3人は8月24日昼ごろに名古屋市内のファミリーレストランで落ち合った。その場で犯行計画について話し合い、堀はOLを拉致することを提案、KTは「派手そうな感じでない女性ならば、多くの貯金があるだろうから、拉致すれば金になるだろう」と提案した。さらに、3人は標的を拉致する場所について話し合い、堀が提案したように、高級住宅街の多い地下鉄東山線の沿線(覚王山・一社・上社・本郷方面)で物色することになった。そして同日19時ごろから、3人は乗用車で名古屋市内を走り回り、通行中の女性計5人を追尾して襲撃の機会を窺い、23時10分ごろに千種区春里町の路上で被害者女性を拉致した。
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