長井ダムに沈む
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 19:08 UTC 版)
こうして管野ダムは木地山ダムと共に長井市の治水・利水に貢献したが、1967年(昭和42年)の羽越豪雨や1969年(昭和44年)7月・8月の連続豪雨によって最上川流域は重大な被害を受けた。また1973年(昭和48年)の大渇水や長井市の人口増加による上水道需要の増大によって、治水と利水に対する再検討が必要となった。 建設省(現・国土交通省)は「最上川水系工事実施基本計画」を策定し主要支川に特定多目的ダムを建設する計画を立て、これに則り白川ダム(置賜白川)と寒河江ダム(寒河江川)が計画・施工された。一方山形県は管野ダムのダム再開発事業としてダム直下に大規模な補助多目的ダム建設を1976年(昭和51年)4月より計画した。この「新野川ダム建設計画」は1979年(昭和54年)7月に「長井ダム」と名を変え、翌1984年(昭和59年)には「最上川水系工事実施基本計画」の変更によって建設省に事業が移管され、以後特定多目的ダム事業として進められた。 長井ダムは高さ125.5メートルの重力式コンクリートダムであり(詳細は長井ダムの項を参照)、完成時に管野ダムは水没する設計とされた。ダムが水没する例としては青森県の沖浦ダム(浅瀬石川。浅瀬石川ダムに水没)があるが、管野ダムは水門などの設備撤去が行われた後、試験湛水後に長井ダム湖である「ながい百秋湖」の湖底に沈み行く。長井ダムの試験湛水は2010年4月30日に試験放流を実施したことで山形県初の多目的ダムである管野ダムは55年に及ぶ歴史の幕を閉じ、ながい百秋湖に水没した。従って現在管野ダムの姿を見ることは出来ない。長井ダムは周辺の影響確認などを経て翌2011年に正式に竣工し、運用を開始した。なお管野ダムではダムカードも発行されていた。 なお、上流にある木地山ダムであるが、長井ダムの完成後も連携した治水・利水を行う。ただし従来野川沿いにあった野川第二発電所が長井ダム完成後に水没してしまうことから、発電所施設をながい百秋湖の満水面より上部に移転する工事が実施された。木地山ダムへは管野ダムを望む竜神大橋を通過後上流へ直進することで到着する。野川第二発電所付近までは1.5車線整備された道路であるが、それより先は車一台がようやく通過できる離合不可能な幅員の狭い道路となり、カーブも多くガードレールもないいわゆる「険道」となる。従って転落の危険性が高いため通行には細心の注意が必要であり、運転初心者は避けた方が無難である。
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