銀ぶら
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銀ぶら(ぎんぶら)は、大正時代からの俗語で、「銀座の街をぶらぶら散歩すること[1][2]」である。「銀ブラ」とも表記する。
- ^ デジタル大辞泉『銀ぶら』 - コトバンク
- ^ 新村出編『広辞苑』(第五版)岩波書店、1998年。
- ^ 『日本国語大辞典 第二版』(小学館 2001年)の「銀ぶら」の項目に引用。
- ^ 時代研究会 編『現代新語辞典』耕文堂、1919年(大正8年)2月28日、50頁。doi:10.11501/933344。 (オンライン版当該ページ、国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 上田景二 編『模範新語通語大辞典』松本商会出版部、1919年(大正8年)5月25日、79頁。doi:10.11501/958702。(オンライン版当該ページ、国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 下中芳岳『『や此は便利だ!: ポケット顧問 改再版』平凡社、1919年(大正8年)7月20日、215頁。doi:10.11501/958707。 (オンライン版当該ページ、国立国会図書館デジタルコレクション)。なお、1916年(大正5年)12月に出版された同書の再訂大増補第24版には、「銀ぶら」の項目がない(下中弥三郎, 秋永常次郎編『や、此は便利だ : ポケット顧問』〈平凡社ライブラリー, 947〉、2023年、平凡社。ISBN 9784582769470。)。
- ^ [1]水島爾保布『新東京繁昌記』国立国会図書館デジタルコレクション。
- ^ 『銀座十二章』朝日新聞社 1965年。
- ^ [2]建部遯吾『社交生活と社会整理』国立国会図書館デジタルコレクション。
- ^ 安藤更生『銀座細見』(春陽堂 1931年)の「銀ブラの語源」の節による。丸山鐵雄の『歌は世につれ』(みすず書房 1983年)は「“銀ブラ”という言葉は、大正時代からあったが、そのころは主として銀座の地回りのことをさしたという」(米川明彦編『日本俗語大辞典』(東京堂出版 2003年)の「銀ブラ」の項目に引用)としている
- ^ 福田俊二・加藤正義編『昭和流行歌総覧(戦前・戦中編)』(柘植書房 1994年)
- ^ いずれも米川明彦編『日本俗語大辞典』の各項目による。
- ^ 『日本国語大辞典 第二版』(小学館 2001年)の「新ぶら」の項目。
- ^ 「かつてはハイカラなひびきをもったこのことば(=「銀ぶら」)は、横浜・伊勢佐木町の「佐木ブラ」というふうに輸出されもした」(稲垣吉彦『ことばの輪』文藝春秋 1983年)
- ^ 「精進一年へ 享楽は断然追放だ」 情報局『写真週報』313号 アジア歴史資料センター Ref.A06031090800 P.9
- ^ 獅子文六『悦ちゃん』角川文庫 1962年版による。
- ^ 遠藤周作『ヘチマくん』角川文庫 1963年版による。
- ^ 産経新聞 1999年1月17日号 第22面(東京面)「東京再発見 路線バスの旅」など。
- ^ REAL PLAN NEWS Vol 113
- ^ 長谷川泰三『日本で最初の喫茶店「ブラジル移民の父」がはじめた カフエーパウリスタ物語』(文園社 2008年)
- ^ 『三省堂国語辞典 第七版』(三省堂 2014年)
- ^ 飯間浩明 (2018年12月19日). “「銀ブラ」”. Webでも考える人. 新潮社. 2018年12月23日閲覧。
- ^ 飯間浩明Twitter2014年7月7日
- ^ 金沢大学講師、いなほ書房代表取締役、日本コーヒー文化学会常任理事、「珈琲と文化」編集長(『「銀ブラ」の語源を正す―カフエーパウリスタと「銀ブラ」』著者略歴による)
- ^ コーヒー文化研究をライフワークとし、「コーヒー文化研究」誌にカフエーパウリスタと水野龍についての論文複数を発表(『「銀ブラ」の語源を正す―カフエーパウリスタと「銀ブラ」』著者略歴による)
- ^ 星田宏司・岡本秀徳『「銀ブラ」の語源を正すーカフエーパウリスタと「銀ブラ」』(いなほ書房 2014年)
- ^ “「銀ブラ」語源、銀座でブラジルコーヒーが「正解」 「ふしぎ発見」紹介で議論...識者に聞く”. J-CASTニュース. (2018年12月3日) 2018年12月23日閲覧。
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