鉄道敷設計画の挫折
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 02:54 UTC 版)
当道路の起源は、大正時代の鉄道敷設計画に遡る。沿線の不動産開発を目的として大船より鵠沼を経て茅ケ崎に至る鉄道建設のため東海土地電気が設立されたが、発起人の多くは1923年の関東大震災により鉄道計画から離れ、事業は1926年に設立された江ノ島電気鉄道に引き継がれた。 1922年(大正11年)12月22日:東海土地電気に大船-鵠沼-辻堂-茅ケ崎間の鉄道免許認可 1923年(大正12年)9月1日:関東大震災 1926年(大正15年)7月10日:江ノ島電気鉄道設立(東海土地電気は解散) 1926年(大正15年)7月17日:大船-鵠沼間鉄道敷設免許再申請 1926年(大正15年)11月26日:大船-片瀬間に変更し追願 1926年(大正15年)12月10日:大船-片瀬間鉄道免許認可 1928年(昭和3年)7月1日:東京電燈江ノ島線(現江ノ島電鉄線)営業権譲受 1929年(昭和4年)4月1日:小田原急行鉄道江ノ島線片瀬江ノ島駅開業(片瀬-茅ケ崎間免許に抵触するため駅舎は仮登記) 1930年(昭和5年)1月31日:片瀬-茅ケ崎間免許失効 江ノ島電気鉄道は1928年に現在の江ノ島電鉄線を譲受した後、バス事業から1929年をもって一時撤退して鉄道経営に専念していることから、新規路線の開業はこの時点で放棄したものと考えられる。
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