鉄道寮・鉄道局
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 16:01 UTC 版)
日本の鉄道の所管官庁は1871年(明治4年)(新橋 - 横浜間鉄道開業の前年)に設置された工部省鉄道寮(のち工部省鉄道局)が最初である。1885年(明治18年)に工部省が廃止されると鉄道局は内閣の直属となった。1890年(明治23年)には内務省外局の鉄道庁に改組されたが、1892年(明治25年)には逓信省外局に移管され、その翌年には内局化され逓信省鉄道局となった。 同時期には、ドイツ帝国の帝国鉄道の会計が陸軍省によって研究され、1897年(明治30年)には逓信省鉄道局は監督行政のみを受け持つことになり、現業部門は逓信省外局の鉄道作業局に分離された。 他方1901年(明治34年)には、外交官だった幣原喜重郎がベルギーの状況を官報に報告した。報告によれば、アンウェルス市街鉄道は馬車鉄道から電気鉄道に切替えて他重要都市へ延長する計画が成立し、民間会社が1945年(昭和20年)までの営業を認可され、また、その契約内容には、学生及び労働者を保護するための低運賃、労働条件(賃金、昇給、休憩時間、保険)、会社は「市と県」に毎年一定額を納付すること、営業開始から15年目以降は国が好条件で事業を買収(国営化)しうること、また買収額の計算方法が規定されている。
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