タレントデータベース |
野田 秀樹
野田秀樹の画像
| 芸名 | 野田 秀樹 |
| 芸名フリガナ | ノダ ヒデキ |
| 性別 | 男性 |
| 生年月日 | 1955/12/20 |
| 星座 | いて座 |
| 干支 | 未年 |
| 出身地 | 長崎県 |
| URL | http://www.nodamap.com/ |
| プロフィール | 1955年、長崎県生まれ。劇作家・演出家・役者。東京芸術劇場芸術監督、多摩美術大学教授。東京大学在学中に劇団夢の遊眠社を結成し、数々の名作を生み出す。92年、夢の遊眠社解散後、ロンドンに留学。帰国後の93年に企画製作会社NODA・MAPを設立。以後も『キル』『パンドラの鐘』『オイル』『赤鬼』『THEBEE』『THEDIVER』『パイパー』『ザ・キャラクター』など次々と話題作を発表。また、中村勘三郎丈と組んで歌舞伎『野田版研辰の討たれ』『野田版鼠小僧』『野田版愛陀姫』の脚本・演出も手掛ける。演劇界の旗手として国内外を問わず、精力的な活動を展開。2009年10月、名誉大英勲章OBE受勲。2009年度朝日賞受賞。2010年9月5日から9月28日、東京芸術劇場小ホール1にてNODA・MAP番外公演『表に出ろいっ!』上演。 |
| 代表作品1 | 舞台『赤鬼』 |
| 代表作品2 | 舞台『THEBEE』 |
| 代表作品3 | 舞台『ザ・キャラクター』 |
| 職種 | 文化人/タレント・俳優・女優 |
» タレント検索.netはこちら
映画監督・出演者情報 |
野田秀樹 | |
ウィキペディア |
野田秀樹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/09 08:28 UTC 版)
| のだ ひでき 野田 秀樹 |
|
| 生年月日 | 1955年12月20日(56歳) |
|---|---|
| 出生地 | |
| 職業 | 俳優、劇作家、演出家 |
| 配偶者 | 藤田陽子 |
| 家族 | 野田博明 |
| 主な作品 | |
| 『新選組!』 | |
野田 秀樹(のだ ひでき、1955年12月20日 - )は日本の俳優、劇作家、演出家。多摩美術大学教授。東京芸術劇場芸術監督。
目次 |
来歴
人物
- 長崎県西海市崎戸町生まれ(三菱炭坑勤務の父の転勤先。すぐ東京へ引越)。
- 兄は野田博明(興銀広報部長、みずほフィナンシャルストラテジー常勤監査役などを歴任。脳出血を患い、そのリハビリ体験を各所で公表している)。
- 小学校の同級生に映画監督の金子修介がいる。
- 1986年に劇団夢の遊眠社所属の女優竹下明子と結婚するが90年代半ばに離婚する[1]。
- 舞台『真夏の夜の夢』(1992年)で知り合った大竹しのぶと5年にわたる同棲生活をおくるもその後破局する。
- 1989年目の血管が詰まる病気が原因でトレーニングセンター(ジム)で右目が「カメラのシャッターがおりたように真っ暗になり」、右目を失明[2]。
- 2005年12月に女優・歌手の藤田陽子と再婚、2009年6月1日に第1子が誕生した。
年譜
- 1972年、高校2年生の時に処女戯曲『アイと死をみつめて』を発表。
- 1974年東京教育大学附属駒場高等学校卒業。
- 東京大学入学後は演劇研究会に所属。
- 1976年、東京大学演劇研究会を母体に劇団夢の遊眠社を結成。
- 1981年、東京大学法学部を中退。
- 1983年、『野獣降臨』(のけものきたりて)で第27回岸田国士戯曲賞を受賞。
- 1987年、エディンバラ国際芸術祭に、劇団夢の遊眠社が招待劇団として参加、『野獣降臨』を上演。野田はこの時のカーテンコールを、駒場小劇場での『怪盗乱魔』初演、『贋作 桜の森の満開の下』の京都・南座の公演と並び、印象に残っているとしている。一方で「言葉遊び」を中心とする自らの作風の限界を痛感する機会ともなり、「物語」を重視する作風への変化や、後の海外での作品製作につながる公演となった。
- 1988年、劇団夢の遊眠社がニューヨーク国際芸術祭に参加、『彗星の使者』を上演。
- 1990年、劇団夢の遊眠社がエディンバラ国際芸術祭に参加、『半神』を上演。
- 1992年、『ゼンダ城の虜――苔むす僕らが嬰児の夜』の上演を最後に、劇団夢の遊眠社を解散。創立から解散まで公演回数43回、総ステージ数1,205回、総観客動員数は812,790名であった。
- 1992年から1993年にかけて、文化庁芸術家在外研修制度の留学生として1年間ロンドンに留学。台詞の分析が重視されるロンドン演劇界で、身体の動きを重んじるフィジカルシアターに分類される演出家サイモン・マクバーニー主宰のテアトル・ド・コンプリシテのワークショップに参加。
- 1993年、帰国。演劇企画制作会社野田地図(NODA MAP)を設立。ワークショップを基盤に、劇団の枠にとらわれず俳優を集めて上演するプロデュース公演のさきがけとなる。小スペースで少人数で上演する番外公演にも積極的に取り組んでいる。
- 2001年、歌舞伎役者の五代目中村勘九郎(現・十八代目中村勘三郎)と組み、新作歌舞伎『野田版 研辰の討たれ』を歌舞伎座で上演。この後、勘三郎とは『野田版 鼠小僧』や『野田版 愛陀姫』などでたびたび組んでいる。
- 2008年4月、東京芸術劇場初代芸術監督に就任予定であることが発表され、顧問から準備期間を経て芸術監督に就任する。
- 2008年4月、多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科教授に就任。
- 2009年10月、イギリスのエリザベス2世女王より名誉大英勲章OBEを贈られる。
- 2011年6月、紫綬褒章を受章[3]。
- 2011年11月、第3回早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。
作品特徴
- 野田作品の大きな特徴は「言葉遊び」と「リメイク」である。使い古された言葉、古典と呼ばれる作品に新しい命を吹き込み(本人は「皿を洗う作業」と称している)、独創的でスペクタクルな舞台を創造する。俵万智は、彼の作品について「これは古典と呼ばれることになるだろう」と評している。
- 過去に右目を失明しており、その体験をもとに『Right Eye』を上演した。
主な受賞歴
- 1983年、『野獣降臨』で第27回岸田國士戯曲賞受賞。
- 1985年、紀伊國屋演劇賞・個人賞。
- 1990年、『三代目、りちゃあど』で文化庁芸術祭賞受賞。
- 1994年、第19回テアトル演劇賞受賞。
- 1998年、『キル』の演出で第23回菊田一夫演劇賞受賞。
- 1999年、『Right Eye』で第2回鶴屋南北戯曲賞受賞。
- 2000年、『パンドラの鐘』の戯曲で第34回紀伊國屋演劇賞個人賞、第50回芸術選奨文部大臣賞(演劇部門)。第7回読売演劇大賞最優秀作品賞受賞。
- 2001年、『野田版 研辰の討たれ』で第1回朝日舞台芸術賞グランプリ。
- 2003年、NODA MAP第9回公演『オイル』で第10回読売演劇大賞最優秀作品賞受賞。
- 2004年、『赤鬼(3バージョン)』『走れメルス』の作、演出、演技で第4回朝日舞台芸術賞受賞。
- 2005年、『赤鬼(3バージョン)』で第12回読売演劇大賞演出家賞、作品賞受賞。
- 2006年、第1回安吾賞受賞、同年10月15日の新潟市「りゅーとぴあ」での授賞式では、即興で坂口安吾の長男・綱男氏と『贋作・桜の森の満開の下』の一節を朗読するパフォーマンスを披露している。
- 2007年、戯曲『ロープ』で第58回読売文学賞受賞。NODA・MAPが紀伊國屋演劇賞・団体賞を受賞。
- 2008年、『THE BEE』(日本バージョン、ロンドンバージョン)で第7回朝日舞台芸術賞グランプリ。
- 2010年、2009年度朝日賞受賞。
- 2011年、NODA MAP第15回公演『ザ・キャラクター』で第18回読売演劇大賞最優秀作品賞受賞、第3回早稲田大学坪内逍遙大賞受賞
- ^ 28歳の若妻が妊娠7ヵ月 野田秀樹、53歳でパパに、2009年3月6日、zakzak
- ^ 日経新聞夕刊「人間発見‐演劇の力を信じて‐劇作家・演出家野田秀樹④」2010年1月7日(木)掲載
- ^ 紫綬褒章:受章者 野田秀樹さんら25人 毎日新聞 2011年6月15日閲覧
[続きの解説]
固有名詞の分類
野田秀樹に関係した商品
野田秀樹のページへのリンク