近年の中国や西洋における研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/21 04:35 UTC 版)
「ケサル王伝」の記事における「近年の中国や西洋における研究」の解説
李が2001年に発表した論文『歴史とチベットのケサル叙事詩』 ("History and the Tibetan Epic Gesar")には、20世紀の間、ケサルは実在人物なのか、あるいは実在人物をモデルにしたものか、その場合は誰がモデルか、この叙事詩の最初の作者は単独人物か、そうだとすればそれは誰なのか、いつごろ執筆されたものかについて、近代の学者により提出された幅広い仮説をまとめてある。李は記す。「この叙事詩のあらゆる面への研究手法が洗練を増すにつれ、いつ確立されたのか明確な起源はなく、逆にこの叙事詩は長年の積み重ねによってつくられたものであることが明らかになった。原典を探す試みはこの積み重ねの過程を解明することに取って代わった」。また次のように続ける。 半世紀近い研究により、学者たちは次の3つの点に基本的合意をみた。1) 主人公のリン・ケサルは実在した人物である、もしくは複数の歴史上の人物を合成してできた人物である。 2) チベットで伝承されている物語が基となり、他の民族の間で伝承されている数々の物語へと分岐していった。分岐したものは、各民族独自の文化・風習などを含む。 3) 多くの見解が存在するものの、原典の起源となる時期についての基本的合意がある。 李は原典の起源となる時期について、学者仲間であるジャンベン・ギャツォ (Jiangbian Jiacuo、Zhambei Gyaltsho、Vjam-dpal-rgya-mtsho)が唱え通説となっている説を引用する。 原典は、最初に成立した後、いくつかの重大な段階を踏んで発達を繰り返してきた。初めに原型が生じたのは、歴史上で言えば、チベットの部族社会が分裂をはじめ、奴隷制の国家権力が確立された時期であった。これは紀元前後から、5世紀もしくは6世紀までの期間に当たる。そして、吐蕃の統治下の時期、つまり7世紀から9世紀にかけての時期に、ケサルの物語は徐々に形成されていった。その後、吐蕃が崩壊した10世紀以降、叙事詩はさらに発達し流布していった。 李は続けてこう記している。 物語の形成を10世紀から11世紀にかけての時期と限定すると、文学としての発達史を誤って口承叙事詩のみに帰してしまうことになる。更に、この叙事詩には、10世紀ではなく、6世紀から9世紀にかけてのチベット社会の様子が反映されている。よって、歴史上の英雄たちの寿命を基に原典の起源について満足のいく結論を導くのは無理がある…。ジャンベンは、原典の起源は民族文化に基盤を置くと指摘している。ジャンベンの推測によると、叙事詩の誕生前にチベット民族は「天地の成り立ち、民族の起源、民族の英雄を語る数々の物語を保有していて、これらをもとに創作されたのがケサルであり、初期にはドゥンSgrungという名でも知られる人物であった。それが更に語り部、特に吟遊詩人たちによって表現を彫琢され、ケサルはすぐれた物語になっていったのである。」(1986:51)。
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