諸歴史家によるアイネイアース伝承
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「ローマの建国神話」の記事における「諸歴史家によるアイネイアース伝承」の解説
ティトゥス・リウィウス著作のローマ建国史等の古代の文献にもアイネイアース伝承は描かれてある。アイネイアースは数々の困難の末にティベレ川河口に到達したアイネイアースはアボリギネス人の王、ラティヌスに歓迎されてラウィニアを与えられ、ラウィニアとの間にアスカニオスが生まれ、ラウィニウムを建設する。しかし、ラウィニアの婚約者だったルトゥリ人の王であるトゥルヌスが反発し、戦争を仕掛けるも敗北し、ルトゥリ人共々エトルリア人の王メゼンティウスの下に逃げ込んだ。エトルリア人は強力であったので、アイネイアースはトロイア人とアボリギネス人の二部族をラテン民族とし、結束力を高めたうえでエトルリアの軍と戦い、勝利するも自身は戦死した。また、古代にはアイネイアースはイタリアに辿り着くことができなかったという説を唱える人もいたとされる。一方、ハリカルナッソスのディオニュシオスはアイネイアースらはカルタゴに漂着せずに2年間でトロイアからラティウムに到着したとした。
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