ラティウム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 14:48 UTC 版)
ラティウム(ラテン語: Lătĭŭm)は、イタリア中央西部地方を指し、ローマという都市がここに建設され、ローマ帝国の首都に発展した。ラティウムは本来、火山性土壌の肥沃な三角形の狭い地域で、ラテン人部族が住んでいた。テヴェレ川の左岸に位置し、北はアニオ川(テヴェレ川左岸の支流で現在はローマ市内にある)まで、南東は Pomptina Palus(en、ポンティーネ湿原、現在はポンティーネ平野)までであり、この湿原はマラリアの発生する沼地として当時は人間が住める場所ではなく、その南端にチルチェーオ岬 (en) がある[1]。テヴェレ川右岸はエトルリア人の都市ウェイイの支配地だった。後にローマはウェイイとその部族を打ち破り、ラティウムが北東にアペニン山脈まで広がり、南東の沼地の反対端まで広がった。現在この地域はイタリアのラツィオ州であり、今もラティウム地方とも呼ばれるが、その範囲はかつてのラティウムよりやや大きい。
- ^ Cary, M.; Scullard, H. H. (1975). A History of Rome: Down to the Reign of Constantine (3rd ed.). New York: St. Martin's Press. p. 31. ISBN 0312383959
- ^ 「アエネーイス」, VIII.32.
- ^ Bevan 1875, pp. 530–531
- ^ Emilio Peruzzi, Mycenaeans in early Latium, (Incunabula Graeca 75), Edizioni dell'Ateneo & Bizzarri, Roma, 1980
- 1 ラティウムとは
- 2 ラティウムの概要
- 3 参考文献
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