語源・発祥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 03:41 UTC 版)
「ずんだ」「じんだ」の語源として、以下のような説がある。 茹でた枝豆はそのまますれるほど柔らかくないため、まず初めにすりこぎで叩いたり押たりして潰す作業が必要であり、それが「豆を打つ」と解釈されて『豆打』(ずだ≒打豆:平安時代までは闘草をくさあわせと読むように、原文の字順とは逆に下から上へ返って読む返読が一般的であった)となり、「豆ん打」に転訛したとする説。 「伊達政宗が、出陣の際に『陣太刀』で枝豆を砕いて食した」とのエピソードに由来するとする説。『陣太刀』(じんたち)は、東北方言では「じんだづ」「ずんだづ」などと発音されるが、これが「じんだ」または「ずんだ」に転訛した。 甚太(じんた)という百姓が伊達政宗へ献上するために考えた餅が政宗に気に入られ「じんた餅」と言われたという説。 古くはぬか味噌または五斗味噌のことを「糂汰(じんだ)」と言ったが、枝豆をすりつぶした当料理にも名称を拡大適用したとする説。 1.の「豆ん打」説が著名である。しかし、いずれの説にも典拠となる文献はない。 また、伊達家の料理を記した『料理集』では、青大豆に少量の砂糖を加えた餡を「ぢんた」と呼んでおり、仙台古典料理研究家の佐藤敬三が「ずんだの原形」と見ている。ただし、ずんだの由来かどうかは分かっていない。 伊達政宗は米沢出身で会津も一時、政宗の支配下にあった時代があり、ずんだが広く伝わっている地域は、政宗と関係のある地域が多い。そのため、山形県、宮城県、福島県の境界付近から広まった可能性もありうる。 その他の呼称については語源は不明。
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