蘭書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/11 06:36 UTC 版)
当時参考とされたのは、オランダのヒュゲーニン(Ulrich Huguenin)による技術書『ロイク王立製鉄大砲鋳造所における鋳造法(Het Gietwezen in's Rijks Ijzer - geschutgieterij te Luik)』である。この書は高島秋帆の手により1836年頃初めて日本に輸入されたとされるが、翻訳は行われていなかった。直正はこの翻訳を命じ、藩の蘭方医であった伊東玄朴とその弟子杉谷雍介、池田才八によって訳本『銕砲全書』が著された。この訳本が完成したのは嘉永2 - 3年(1850 - 1851年)頃と考えられている。また同時期に手塚律蔵訳の『西洋鉄熕鋳造篇』、嘉永5年(1853年)に金森建策訳の『鉄熕鋳鑑』がそれぞれ別に著されている。 実は、『ロイク王立製鉄大砲鋳造所における鋳造法』に記されている手法は、まず鉄鉱石を溶鉱炉で溶かして銑鉄を作り、それを反射炉で再溶解して砲身を鋳造し、それから鑚開台で砲腔を空けるというものであった。しかし、日本でこれを読んだ者の多くは、原料は、砂鉄を原料とする日本在来のたたら製鉄で十分だろうという認識であったため、反射炉の築造が焦点となった。ちなみに、そのような中で南部藩の大島高任は当初から溶鉱炉の必要性にこだわり、釜石・大橋において日本初の高炉の本格操業に漕ぎ着けている。
※この「蘭書」の解説は、「築地反射炉」の解説の一部です。
「蘭書」を含む「築地反射炉」の記事については、「築地反射炉」の概要を参照ください。
蘭書と同じ種類の言葉
- >> 「蘭書」を含む用語の索引
- 蘭書のページへのリンク