草書千字文
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垂拱2年(686年)の書で、『余清斎帖』と『墨妙軒帖』に収録されている。余清斎帖本は、本文98行で、最初の行に「千字文」と標題し、最後の行に「垂拱二年写記 過庭」の款記がある。字大は2cm強。 余清斎帖本の作者である呉廷(ご てい、書画商人)は、「唐代には、これに勝る草法はない。」と絶賛しているが、米芾などは、「その書ははるかに書譜に及ばない。」と言っている。別人のような筆跡でもあり、孫過庭の書であるか疑問もある。また、唐人の臨写本とされている別の草書千字文「千字文第五本」が遼寧省博物館に所蔵されている。
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草書千字文
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『草書千字文』(そうしょせんじもん、『千金帖』(せんきんじょう)・『小草千字文』とも)は、貞元15年(799年)の小字の草書千字文である。懐素の『草書千字文』は何本もあり、宋の徽宗のコレクションに真跡4本を蔵していたことが『宣和書譜』に記録され、この本はその中の1本とされている(巻末に見える諸印による)。その後、民間に流出し、明の文徴明や清の僧・六舟(名を達受)らの収蔵を経て、台湾の国立故宮博物院に入った。文徴明が蔵した際『停雲館帖』に刻したが、この刻に文嘉の題跋があり、「右唐懐素の絹本草書千字文真跡はもと嘉興の姚公綬(ようこうじゅ)の家に蔵す。公綬蔵する所の法帖甚だ多し。嘗て自ら此巻を定めて第一となし、云く一字一金に直しと。故に当時目して千金帖と為す。」と記されている。以来、『千金帖』の名で世に知られるようになった(以下、便宜上『千金帖』と称す)。 懐素は狂草で有名であるが、『千金帖』は独草体で伝統的な草書であり、平淡で老練な域に達した韻致の高い神品である。『自叙帖』とは好対照で、『自叙帖』が連綿の代表作とすれば、これは独草の代表作である。本文は80行、毎行11字から15字で、字大は1cm前後。18.8×279cmの絹本。台北・国立故宮博物院蔵。 懐素の生没年 『千金帖』の文末に、「貞元十五年(799年)六月十七日於零陵書時六十有三」の款記がある。この一行は偽跡といわれるが、これから推算すれば懐素は開元25年(737年)生まれとなる。しかし、『清浄経』の款記には、「貞元元年(785年)八月廿有三日。西太平寺沙門懐素蔵真書。時年六十一歳。」とあり、これによれば開元13年(725年)生まれでなければならない。これについて梁廷燦は『千金帖』の款記に従わず、725年を生年、785年を没年として『歴代高僧生卒年表』に記している。しかし、『千金帖』の書写年代は一般に799年の款記に従っているため、没年と矛盾している。
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