老鶯朝から気前よく鳴く生きめやも
作 者 | |
季 語 | |
季 節 | 夏 |
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評 言 | この句は、老いた(夏)鶯といっても、朝から元気に鳴いているではないか、われわれも元気に生きようではないか。という意味でしょう。しかし「生きめやも」が問題です。 これは、堀辰雄の「風立ちぬ」の一節を踏まえています。 「改造」昭和11年12月号に発表された堀辰雄の小説「風立ちぬ」は、大きな共感を呼び昭和13年に出版された単行本はベストセラーになりました。 療養文学の傑作とされています。軽井沢、サナトリウムが情感を高めています。 その冒頭、主人公の口を衝いて出る「風立ちぬ、いざ生きめやも」はヴァレリーの詩の有名な誤訳です。これは国語学者の大野晋が指摘していることですが、一般には主人公の生きる意志の表明として理解されていました。 Le vent se lève, il faut tenter de vivre.(風が起きた、生きてみなければならない)ヴァレリー『海辺の墓地』(『魅惑』Charme 所収。一九二二年) この「生きめやも」を分解すると 生き(未然形)―め(推量の助動詞「む」の已然形)―やも(反語の終助詞) つまり生きようか、いや生きないという意味になります。 ささなみの志賀のおおわだ淀むとも昔の人にまたも逢はめやも 柿本人麻呂 この場合でも「逢はめやも」は「逢えるだろうか、いや、逢うことが出来ない」の意味です。 紫草のにほえる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋めやも 大海人皇子 これは、「紫草のように美しいあなた(額田王=前妻)を憎く思っていたら、あなたが「あかねさす紫野行き標(しめ)野(の)行き野守は見ずや君が袖振る」(あなたがそんなに私が恋しいと袖を振っていたら野守が見て怪しむでしょうよ。)などと、からかうなんて。しかし、あなたは人妻なのだから、私は恋することはできないのですよ。」という意味です。(『ベネッセ古語辞典』別冊4ページ) そうなると兜太の句は、老鶯が気前よく鳴いているのだが、もう生きることは出来ないのだよ。ということになります。 もちろん、兜太はそんな意味で使ったのではないでしょう。 これを指摘すると兜太は、おそらく「おう、そうかそうか」と笑い飛ばすでしょう。 ポール・ヴァレリー『海辺の墓地』) Le vent se lève! . . . il faut tenter de vivre! L'air immense ouvre et referme mon livre, La vague en poudre ose jaillir des rocs! Envolez-vous, pages tout éblouies! Rompez, vagues! Rompez d'eaux rejouies Ce toit tranquille où picoraient des focs! 風が起る! 生きてみなければならない! 広大な風が私の本を開き、また閉じる、 波は飛沫となり、岩々から勢いよくほとばしる! 飛べ、すっかり目をくらまされたページよ! 波よ、打ち破れ! 喜びあがる水で、打ち破れ 三角帆たちがついばんでいた、この静かな屋根を! [翻訳:2003, Parolemerde2001] |
評 者 | |
備 考 |
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