老松町
老松町
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老松町
読み方:オイマツチョウ(oimatsuchou)
所在 岐阜県岐阜市
老松町
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老松町
老松町
老松町
老松町
〒254-0033 神奈川県平塚市老松町
〒500-8165 岐阜県岐阜市老松町
〒440-0053 愛知県豊橋市老松町
〒496-0854 愛知県津島市老松町
〒602-8318 京都府京都市上京区老松町
〒590-0824 大阪府堺市堺区老松町
〒662-0085 兵庫県西宮市老松町
〒710-0826 岡山県倉敷市老松町
〒801-0864 福岡県北九州市門司区老松町
老松町
老松町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/30 06:43 UTC 版)
倉敷競馬場跡地は 1.岡山県立倉敷工業高等学校、2.倉敷市立老松小学校などになっている。 1丁目から5丁目からなる。山陽本線倉敷駅西方近くにあり、1丁目が山陽本線北部、残りは南部になる。旧国道2号が東西に走り、市街化・宅地化しているエリアである。 天正年間に、宇喜多秀家が干潟化した海を干拓し開墾された新田地域として誕生。窪屋郡渋江村と呼ばれるようになった。 江戸時代になると江戸幕府の直轄領地となる。元和元年には、備前岡山藩池田氏の領分に変わる。池田氏は、渋江村南部を新たに干拓し新田を開発、小渋江村とした。両村の石高は、合わせて1105石9斗8升であった。 1880年(明治13年)、西隣の田之上村(後述)と合併し、老松村となる。村名は、現在の老松1丁目に鎮座する渋江八幡神社の境内に詩歌にも読まれた古松があり、これに由来する。 1880年(明治13年)に白楽市村他と合併し葦高村、1901年(明治34年)には大高村を経て1959年(昭和34年)4月1日に倉敷町、翌年4月1日に倉敷市(旧)となる。1967年(昭和42年)2月1日には新しい倉敷市となり、現在に至っている。 近代には現在の4丁目に倉敷競馬場があった。その後、廃止となり現在は岡山県立倉敷工業高等学校や倉敷市立老松小学校・幼稚園などとなっている。
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