老松一吉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/04 22:45 UTC 版)
老松 一吉(おいまつ かずよし、おいまつ かずきち[1]、1911年(明治44年)10月30日 - 2001年(平成13年)3月24日[2])は、日本の男性フィギュアスケート選手。富山県[3]東礪波郡出町(現・砺波市)[4]出身。1932年レークプラシッドオリンピック、1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック男子シングル日本代表。ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックでは日本選手団の旗手[2]。日本初のフィギュアスケートのオリンピック代表選手の一人。
- ^ レークプラシッドオリンピックIOC公式報告書では「Oimatsu, Kazuyoshi」と記され(p.219)、ガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピックIOC公式報告書では「Oimatsu, Kazukichi」と記されている(p.381)。どちらが正しい読みなのか確定させるための資料が見つからないため、ここでは「かずよし」「かずきち」の2つの読みを併記する。
- ^ a b となみ野ストーリー 第32回.日本初のオリンピックスケーター
- ^ 富山県スポーツ年史 3
- ^ 富山新聞社 『富山県大百科事典』 p.152
- ^ a b “スケート年鑑 第1号” (PDF). 大日本スケート競技連盟. pp. 278-320 (1941年4月20日). 2020年7月23日閲覧。
- 1 老松一吉とは
- 2 老松一吉の概要
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