美濃行幸とは? わかりやすく解説

美濃行幸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 03:21 UTC 版)

景行天皇」の記事における「美濃行幸」の解説

『日本書紀』によれば父帝崩御し翌年7月即位即位2年播磨稲日大郎姫立后。子には大碓皇子小碓尊(後の日本武尊)がいた。 即位4年美濃国行幸美人名高い弟姫を妃にしようと泳宮(くくりのみや)に滞在した。しかし拒絶されたため、姉の八坂入媛命を妃とした。同じころ、美濃国造2人の娘が美人であると聞いて妃にしたいと思った。そこで大碓皇子派遣したが、大碓皇子姉妹美しさのあまり使命忘れて密通し役目を果たさなかった。天皇はこれを恨んだと言う『古事記』には、天皇の美濃行幸は記されていないが、大碓命三野美濃国造2人の娘について『日本書紀』似た伝承記し次のような伝承記している。天皇朝夕食膳参上しない兄(兄の名は記されていないが、一般に大碓命考えられている)を参上させるため、小碓命によく教え諭すよう命じた。しかし数日しても何も変わりがないため小碓命聞くと既に教え諭したという。どのように諭したのか聞くと厠に入るのを待ち伏せして打ちのめし手足を引き千切って投げ捨てたという。「教え諭す」という言葉を「思い知らせる」、つまり処刑だと勘違いしたのである小碓命、のちの倭建命ヤマトタケル)は恐れられ疎まれ危険な遠征任務送り出されるようになった。なお、これはあくまで『古事記』での話であり、『日本書紀』では大碓皇子惨殺はない。日本武尊ヤマトタケル)と天皇の仲も後述するように良好である。

※この「美濃行幸」の解説は、「景行天皇」の解説の一部です。
「美濃行幸」を含む「景行天皇」の記事については、「景行天皇」の概要を参照ください。

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